乗ってから
財布に入れておいた「高齢者バス乗車証」を確かめたら、無い。財布からカードを全部出して一枚一枚確認しても無いものは無い。後ろの席のママヨさんと通路挟んだ隣の席のおばさん、真昼のトランプ手品もどきを全乗客3人のうちの2人が注視していた。
家に帰り
動作は何ごとのこともないという感じで、無ければとても困る心をさりげなく隠して探す。だが無いものはやはり無い。ふと、一番あるはずのない革の免許証入れを探してみるとあった。車に乗らない時にバスに乗るのだから有るはずが無いという思い込みはあっさり覆され、昨年末に再発行してもらったクロネコヤマトのカードもあった。ここに入れた記憶が全く無いのが怖い。
認知症の兆候
だろうか、性来のウッカリなのだろうか、それともこの2つの合わせ技なのだろうか。液体洗剤のザブを冷凍庫に、いただいた名物饅頭を下駄箱にしまって台無しにしたのは60歳初頭だった。緊張ほどけてぐったりしていたら、ママヨさんが「そういうことって私もありますよ」と、お茶とカステラを出してくれた。この直後、読書交流会開催の時間を間違えてメールを送っていた。ああ、今日は13日の金曜日だもなあ、と思ったらその前日だった。
高齢者バス乗車証は70歳以上対象に1区間ならどこでも100円になるありがたい当市の福祉施策。信金と郵便局、スーパーまで歩き、帰りにバス乗車。家の直ぐ側に停車してくれ220円 親戚が送ってくれた蕎麦。身欠きを米のとぎ汁で戻し甘辛煮にして鯡蕎麦。いつもウドンだけれど、鯡の時は蕎麦だね学生時代、国語学の自由課題で、「有るは動詞で、無いは形容詞なのはなぜか」について考えを書いた。今日のブログタイトルで思い出した。昨年12/27記事の「平和は状態、戦争は過程」のことも。こういうのを未だ考えられるなら波風氏の認知状態はまだ大丈夫かな?