先生になりたい若者が減り続けているのは、仕事がきついだけでなくつまらないからだ。朝7時に家を出て夜10時に帰る、残業手当も出ない仕事が敬遠されるのは当然。学校がいつの間にか学力テスト対策で追い立てられ、子どもと学校・地域と先生が評価され続けられたら嫌になるのはあたり前。そのうち(もうそうかもしれないが)、先生やってますなんて恥ずかしくて口ごもる時代がそこまで来ている気がする。
つべこべ言わずに先生の数をどーんと増やせばほぼ解決するだけの問題。これと学力テスト体制を止めたらこの国の教育問題の大半は良くなる。金のかからない屁のつっぱりばかりやってるうちに、教育と学校の崩壊が始まっている感。
少し前までは、免許持っていて採用試験受けないのが問題だったが免許そのものを敬遠する今、この国の礎=教育の崩れそのもの。教育の根幹になる学校は、教材と子どもと先生で成り立つが、子どもが減り、先生がいなくなるのだから。
ここまでこの国の教育の内容(教える内容)も条件(教える先生や学校)も極端におかしくなった分岐点は、15年前の安倍政権による教育基本法(教育の憲法)の「改正」。今更ながら、某宗教団体の教義と重なる改正内容に唖然。
今はまだ、志のある先生たちが学校教育を支えている。小学校の教員採用倍率が1倍切った県が出ているが、中と高だって「どーんと」が無ければ同じになるのは時間の問題。
学力テストの大罪を、書評で書いた『書評という鏡』。教育のデジタル化も、少ない先生、画一化する指導内容、評価の一元化に直結するようだと教育の超崩壊 この頃、詩を読まない。こういう時、使う言葉が楽しくなくなる。絵も描かなくなる。まずいなせっせと三食作ってる。自分の為ならカップウドンや食パンにジャムで済ますのだが。納豆冷やしたタヌキうどん(自家製うどんは冷製も乙)、ホタテ・ズッキーニオイルパスタ、炙りうな丼、ほっけ三枚におろして塩焼き・・・・どれも、畑の収穫物と到来物で教育の無残な話なんか書きたくない。だが、予想超える加速度的な酷さに誰かに言いたい。