昨日、70代の知人から白いキャンバスと額が宅配で届き、夜に80代の方から木枠、キャンバス布が届いた。事前に「もう描かないから貰ってくれたら嬉しい」と言われていた。お二人が絵を描いたんだと知ったのだが、この連続に「歳」と遊びの終わり、そして「手」を意識した。
今後5年ぐらいは未だ立ち向かえる気がするから、貰うと返事していた。絵の具を使うのは体力がいる。ずうっと裏返しにして立てかけてある描きかけの百号キャンバスは、「いつか再開、それまでに描く絵は全部その準備」と30歳から思っていたが、この頃「さていよいよ。決着つけてから逝かなければ」と意識変化。永く言葉を使う仕事してきたせいで、考えすぎて描けない習性を修整して終世を迎えたい。
ここらの動機というか執着は、能力や意欲以上に、自分の『手』を今一度信じてみたいからだ。鶴を折れないとか、リンゴの皮を剥けないとか、波風氏は実に不器用、そして偏って器用。退職後、家事を通じ、暮らしはすべて手の恩恵だと実感。絵は暮らしに全然関係無い分、手がそんな方面にも活用できたら嬉しい。手が作るのはすべて目に見えるモノ。だがそれ以上に、手作業の時は自分は何者かを発見できる機会、機嫌良く暮らしていける自信を手が最も雄弁に語ってくれる気がして。
画像は、捜すと無く、あると高価な定番コーヒカップセット使用の朝食。ママヨさんが見つけた格安の「処分品」。こんなカップが欲しかった。波風食堂の備品購入ひとつ終了 もっと時間が経てば、描けなくなり、書けなくなり、読めなくなるのだろうなあ。今のうちだな 公式裏ブログ「波風食堂、準備中です」を「葉も、根も…」でただ今更新。