おっさん先生と愉快な仲間のぶろぐ

先生って楽しい仕事だと思い続けることができたしあわせな爺っさまのつぶやきです。

こんばんは。 いつもお世話になっております 11

2012-01-24 16:13:02 | Weblog
 あなたたちにとって初めての、長い実習はプレッシャーや
困難さをあなたたちに与える場合もあります。

 自分への気づきを自分で受け入れられないということが
起こることさえあるはずです。

 「メンタルを鍛えること」はむずかしい課題かも知れませんが、
長く教師をやり続けるには必要な力です。

「採用試験に受かる」ことだけが目標なら
「メンタルを鍛えること」はそれほど重要な要素ではないかも知れませんが
「教師をやり続けるため」には必要最低限のことなのです。

 いろんな意味で、実習時には、不満を持つことがあるかも知れませんが
それ相応のあなたたちへの、はじめは大きな期待を持っていることに
気づくことが必要です。

実習校側からの期待感からくる叱咤や激励に対して、
冷たいと感じたり、厳しいと感じたりしてしまうのかも知れません。

 自分ができるという自信とかけ離れた世界での扱いに
とまどうのかも知れません。実はそれが「現場」なのですが、
期待が大きいだけに、期待以下なら、落胆も大きいのです。

 現実の学校現場はそんなものかもしれません。
それに合わせることのできるる力も要ります。
鈍感さや逞しさもあなたたちには必要なのです。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 10

2012-01-24 00:11:38 | Weblog
願書はありのままの自分を正直に表現できるように書きましょう。
ここから質問が出るのが一般的ですが、
質問されて困るようなことを書くより、
今、向き合っていることを正直に話せることが大切です。

建前のスローガン的な記述ではなく、
自分の言葉で話せることを自分らしさとは何かを
考えながら書き進めてほしいですね。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 9

2012-01-22 16:09:49 | Weblog
教師になるためには「人を動かす力」も実は必要なのです。

指示の仕方、子どもたちの動き方の見通し、安全への配慮、指示後の確認と手立て・・。

あなたたちにはそのためにM1での林間などを体験してもらっていますが、
集団を動かすために必要なスキルを身につけているかどうかは
あなたたち個々の経験でしかないのです。

当然大学院ではそのようなカリキュラムはないので
学部やそれ以外の活動の中で
「集団を動かせる、集団の中で指示ができる」力を獲得しておかなければならなかったのです。

採用試験対策として
「場面指導」というものがありますが、
場面指導の中で求められているのは
「集団を動かせる、集団の中で指示ができる」力なのです。

経験のあるなしの差は想定できる手立ての幅に現れてしまいます。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 8

2012-01-21 16:07:36 | Weblog
自分の進路もしっかり見定めなくてはなりません。
自分の進路を切り開くのは自分自身の決断だと思います。

これからの自分の一生を決める判断を、
実は迫られているのだと言うことに気づくことが必要です。

早い場合は私学の5月試験からスタートし
7、8、9月の各府県の教員採用候補者選考が
一次二次と続きますが、「採用される可能性の高いところ」を選ぶのか、
「採用されたい都道府県や校種」を選ぶのかは、
「あなた自身が決めなくてはならないこと」だと思います。

自分の進路は自分で決めておかなければならないことなのです。
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こんばんは。 いつもお世話になっております  7

2012-01-20 15:59:03 | Weblog
 関わろうとすること、「やってみる」ということに
躊躇する必要はないと思います。

 衝動的な行動はかえって混乱を引き起こすことがありますが、
やるべきかやらざるべきかと考えた場面では、
常にやることを選ぶべきだと僕は思っています。

 何も行わなければ何も変化しないのです。
変化しないことをよしとしているのは
指導する側だけの問題であり、子どもは変化を求めているものだと思っています。

教師という仕事に就いたなら、なぜそのことをやろうとしたかという、
理由を明確にして行っていくという姿勢を求めらる場合がありますが
よい結果が出ない場合や思っているように変わらなかった場合でも、
こちらの思いを、誠実に伝えれば、解決することが多いのです。

こんなアプローチをしてみたいという提案をどんどんやってみてください。
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こんばんは。 いつもお世話になっております 6

2012-01-19 15:56:57 | Weblog
 教師としての振るまいは
「人としてのあたりまえの振る舞い」だと思います。
ただ何が「あたりまえ」なのかが大きな問題なのですが・・。

教師としてのたたずまいは内面から醸し出すものであり、
人としての本質を見抜く力や感性を
長い間教師を「真面目」にやっている人は身につけていくようです。

誰でも長い時間やっていればそうなれるとは限りませんが
外見的な事象や出来事に振り回されず、
常に本質は何かを問いかける姿勢を持っていた同僚は、
そうした教師としてのたたづまいを身につけていたように思います。

表面的な関わり方や指導方法というものではなく
人として本質的に「真摯であること」「謙虚であること」が
求められているように思います。
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こんばんは。 いつもお世話になっております 5

2012-01-18 15:55:08 | Weblog
 意識すればするほど「悩むこと」が増える。
それがあたりまえだと思うし、
健全な証左だと思います。

悩むべきことが見つからないで、
やらされることだけに追われる実習になれば、
それは学びにならないと思います。

貴方が学びたいことは何なのでしょうか。
そのあたりを一緒に突き詰めていくことが大事だと思っています。
授業は「うまく」できなくてもいいですよ。
まだまだ経験なんて少ないのですから
「緊張しないこと」「指導案通りにやること」ぐらいの目安で充分です。
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こんばんは。 いつもお世話になっております 4

2012-01-17 15:54:37 | Weblog
 担任になれば、誰かに手助けをしてもらう方法を身につけるのではなく、
自分で判断する力が必要になります。

 自分の責任において判断することの重さに、
まだ実習の間には感じる場面は少ないかも知れませんが、
教師生活を始めれば、それが毎日続くのだと言うことに
きづく必要はあると思います。

子どもたちとの関係が深まれば深まるほど、
何かしてあげたいという思いは募るものですが、
こうした思いを一部の子どもとの関係の中で
消化してしまうことはとても危険だと思います。

自分自身の子どもたちを受け入れる心の容量に
気づけるかどうかがとても大事なポイントだと思います。

なにげなくやっていることが
「えこひいき」ととらえられないためには
「公平に受け入れる心」が必要なのかも知れません。
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こんばんは。 いつもお世話になっております 3

2012-01-16 15:48:47 | Weblog
 大学院なので
「自ら、意欲的に研究しようとしている」院生を想定して
指導に当たられています。

 僕もそうなのですが、
自分で課題意識を作ろうという姿勢を見せない限り、
「大学生のように」は行かない部分があるように思います。

 このあたりを「あなたたちは大学5年生なのではない」と、
とってもいい言葉で表されていた先生がおられますが、同感です。
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こんばんは。 いつもお世話になっております。 2

2012-01-15 15:45:35 | Weblog
「おはよう さよなら」「ありがとう」というこんな言葉は、
「教師だから」仕事として使うものではなく
「あたりまえのこと」として使っている自分かどうか
という問いかけが必要です。

なぜか、
「教師になったらしなければならないこと」を
探る傾向があるようでね。

「人としてなさねばならないこと」に真摯に向き合っているかどうかが
学校現場では求められているのに、
表面的な事象をハウツーとして獲得したがるのはなぜなんでしょうか。

付け焼き刃で仕事がこなせるほど現場は甘くないように思うのですが・・。
教壇に立つと、また違うものが見えてくるはずです。
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