電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

N響アワーで「太平楽会」の音楽を聴く

2010年05月25日 06時07分30秒 | クラシック音楽
日曜の夜、一週間に一度のお楽しみで、録画しながらテレビを観ます。番組は、「太平楽会~岩倉使節団が聴いたコンサート~」と題し、「明治5年アメリカ東部ボストンで、折から訪米中の維新政府首脳たちを仰天させるイベントが開かれた。日本人が初めて聴いた本格的な西洋音楽のコンサートを振り返る」というものです。当方、理系の歴史オンチですので、こういうテーマになると、企画した方のアイデアに喝采してしまいます(^o^)/

なんでも、普仏戦争の終結を記念して、五万人も収容できる木造の大ホールを作り、その中で1万5千人もの合唱が行われたりしたのだとか。いやはや、岩倉使節団の人たちも、さぞかし「びっくらこいた」ことでしょう(^o^)/

番組案内では、こんなふうに紹介していました。

明治5(1872)年6月、岩倉具視を団長とする遣欧使節団がアメリカ・ボストンを訪れました。 ここでは、普仏戦争終結を記念する「太平楽会(たいへいがくかい、 英名はワールド・ピース・ジュビリー)」が催され、 使節団一行は数万人に及ぶ聴衆と演奏者に度肝を抜かれます。 日本人が初めて接する大規模な洋楽の公開音楽会でした。
一行が鑑賞したのは、6月17日の「イギリスの日」と18日「ドイツの日」の2日間です。 興味深いのは、当時ヨーロッパで人気の絶頂にあったヨハン・シュトラウスが、 このイベントに招かれて大西洋を渡り、自作の指揮にあたったこと。 つまり、岩倉使節団の面々は、かのヨハン・シュトラウスを肉眼で目撃したことになります。
N響のアーカイブスに残る演奏でこの両日のプログラムを一部再現し、 木戸孝允をはじめとする使節団メンバーの手記を紹介しながら、 洋楽が明治の日本人にとって避けて通ることのできない文化となっていくさまを読み解きます。

演奏はすべてN響ですが、曲目と指揮は次のとおり。

(1)ベートーヴェン、序曲「レオノーレ」第3番、指揮:アンドルー・リットン
(2)ヨハン・シュトラウス、ワルツ「酒、女、歌」、指揮:テオドル・グシュルバウアー
(3)メンデルスゾーン、オラトリオ「エリア」から“イスラエルを見守る方は”、指揮:ヴォルフガング・サヴァリッシュ、合唱:東京芸術大学
(4)ワーグナー、歌劇「タンホイザー」 序曲、指揮:ハインツ・ワルベルク

ハインツ・ワルベルクさんは、本当に味のある、いい音楽を聴かせてくれました。40年くらい前の若い頃を思いだして、少ししみじみしてしまいました。

番組を案内してくれる西村朗さんと岩槻里子さんのやりとりが、今回は格別に興味深く感じました。坂本龍馬の話は某番組の宣伝でしょうからその分は割り引くとしても、ヨハン・シュトラウスが自作を指揮したのだとか、久米邦武『米欧回覧実記』や久米邦武『久米博士九十年回顧録』中にある感想とか、初めて聞く話ばかりでした。この番組について、早くも詳しく記事にされている方がいらして(*1)、しかも話題が希望ホールとか山響とか、なじみの固有名詞が頻出します。どうやら、山形県は庄内地方在住の方らしい。なんだか嬉しくなりました(^o^)/

以前、アーネスト・サトウがクララ・シューマンの演奏会を聴いている話を取り上げた(*2)ことがありますが、日本史上の出来事とクラシック音楽の話題が結びつくと、妙にリアリティが感じられます。

(*1):日本人が聴いた洋楽~「La stanza del Mare」
(*2):アーネスト・サトウが聞いたクララ・シューマン~「電網郊外散歩道」2006年10月
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