現代においては、指揮者はあるオーケストラの演奏会が終わると別の演奏会へと、文字どおり飛び回る生活が多くなっていることと思います。その意味では、現代では特定の地域やオーケストラとの関わりの度合いは薄く浅くなってしまいがちになるのは、やむを得ないことかもしれません。ただし、われらが地元オーケストラ、山形交響楽団の場合は、創立名誉指揮者である村川千秋氏のもとで誕生以来、飛躍の原動力となった飯森範親氏が長く常任指揮者〜音楽監督をつとめ、その後、現在の阪哲朗氏が引き継いで創立50周年のシーズンを振っています。その点から見れば、指揮者と地域との関わりは深い方と言えるかもしれません。

そんなことを感じている今日この頃、先日、5月28日付けの山形新聞の記事(伊藤律子記者によるもの)には驚きました。阪哲朗さんが山形北高音楽科の生徒たちの演奏指導をしたという記事でしたが、実は公立高校としては東北・北海道地区で唯一の同校「音楽科」の開設には、阪さんの母方の祖母が同校同窓会長としてたいへん尽力されたのだそうです。なんとも不思議なつながり、ご縁を感じます。
そして、これは単なる偶然というよりも、趣味嗜好のあり方、感性というものが、例えば祖母から母へ、そして息子へという具合に、かなり影響するものと考えることもできます。文化的遺伝というか、家系的な連続性というか、そうしたものがありそうです。
◯
そうした視点でいえば、私のクラシック音楽愛好の感性も、案外そのルーツは祖父の兄弟が集まったときによく歌っていた讃美歌の響きにあったのでは、と感じることがあります。早く母を失った長兄(祖父)が多感な青年時代に村山農学校でクリスチャンである某先生の影響を受け、大正時代に当時の村山教会の聖書研究会に入っていたこと、その弟たちもそれぞれに濃淡はあってもキリスト教の影響を受けていたこと、特に末弟は旧制山形高等学校で黒崎幸吉先生の教えを受け、その娘を娶っていることなどが、田舎の農村にあっては珍しい響きを持つ讃美歌に親しむ機会があった理由というか、背景があったということでしょう。

そんなことを感じている今日この頃、先日、5月28日付けの山形新聞の記事(伊藤律子記者によるもの)には驚きました。阪哲朗さんが山形北高音楽科の生徒たちの演奏指導をしたという記事でしたが、実は公立高校としては東北・北海道地区で唯一の同校「音楽科」の開設には、阪さんの母方の祖母が同校同窓会長としてたいへん尽力されたのだそうです。なんとも不思議なつながり、ご縁を感じます。
そして、これは単なる偶然というよりも、趣味嗜好のあり方、感性というものが、例えば祖母から母へ、そして息子へという具合に、かなり影響するものと考えることもできます。文化的遺伝というか、家系的な連続性というか、そうしたものがありそうです。
◯
そうした視点でいえば、私のクラシック音楽愛好の感性も、案外そのルーツは祖父の兄弟が集まったときによく歌っていた讃美歌の響きにあったのでは、と感じることがあります。早く母を失った長兄(祖父)が多感な青年時代に村山農学校でクリスチャンである某先生の影響を受け、大正時代に当時の村山教会の聖書研究会に入っていたこと、その弟たちもそれぞれに濃淡はあってもキリスト教の影響を受けていたこと、特に末弟は旧制山形高等学校で黒崎幸吉先生の教えを受け、その娘を娶っていることなどが、田舎の農村にあっては珍しい響きを持つ讃美歌に親しむ機会があった理由というか、背景があったということでしょう。