新聞を読むと、すでにツイターなどで既知の情報が後でまとめられる形で掲載されていることがままある。沖縄関係のニュースはそうではないが、社会的事象は実はツイターなどが先陣の徴候を発信しているように思える。二番煎じのように新聞メディアが伝え、週刊誌はまたそのディテールを少し伝え、そしてまとまった書籍が書かれていく。
様式化された表出は結晶の塊として印象深い。事実の羅列はドキュメントの下書きのようなものだろうか。それでも人は自らを語りたいのだ。痛いと叫びたい。それらの叫びを汲みあげてくれる知性の人々の存在はいいね。どこでも収奪する者たちと収奪される者たちが存在し、圧倒的に収奪される者たちが多い。その力を結集できたらいいね。