志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

醜いもの、権威にしがみつく自己顕示欲!美しいもの、無心にガンバル姿!(つぶやき)

2012-05-15 05:50:02 | グローカルな文化現象
   (海辺の太陽、生きている地球、生きているこの実存)

「おれは学者が嫌いだね」と詩人が言った。
  「吉本隆明は日本の思想学会や哲学学会などから拒絶されたらしいな」
  「しかし、他所様の本を読んでああだとかこうだとか言っているだけの学者は
   吉本ほどの思想を生み出し得ない税金の無駄使いだけ、しているよな」

   吉本は知の巨人だった!彼に勝る者が大学にはいなかった!事実ー、の日本。
   だけど原発に関する楽観的唯物論は死の間際に批判された!科学や技術の弁証法は
   そのとおりだろうとは思うが、人知で制御不可能な物体を創りだしてしまった。
   それを超える知が験されている。

   少なくとも人類破滅の間際の闇を抱えつつ、かろうじて制御している
   科学物質・技術があるとみたらいいのだろうか?

 「世界に新しい思想を提示できるほどの仕事ができず、頭脳もない連中がくだをまいて
  人の書いたもの、昔の資料をほじくってああだ、こうだと書いておれば研究している
   なんてね、お笑い草だよ」
 「まぁ、研究者というより大学レベルの教育者が多いのだろうね」

 「しかし、自己顕示欲丸出しの研究書を見て驚いた。編集者がご自分の論文だけ
  羅列しているではないか!」

  ああこの方はご自分の能力を論稿として世間にたくさんお披露目したかったのだろうけど
  でも「心の(肝ぬ)さもしさ」を表にさらしていることになるのね。

  わんからわんからと身をせり出す姿はある面、謙虚なはずの学問分野の醜いエゴーが見え見え
  知の境界の闘いも、やれやれ、権力欲と権威欲がギラギラ!

  それはどの分野でもそうで、全く大きなテーマ設定の中に沿わない方々を招聘して
  研究発表だの、シンポジウムだのを開催してみたり、でおかしい!
  身の丈の役割を超えられない。体制をシステムを精一杯維持することに汲々なのよね。
  どの組織もそんなものかもしれない。

  一人の巨人にかなわない、大学組織の知の構築なのかな?

  やはり一匹狼的な在野の個の魅力にかなわない。

  第一、沖縄の思想にしても、貴族的な権威のヒエラルキーの中にいる方々がどんなに
  多くの書物を読んでその中のエキスをえぐっても、この生きた時空間に貴重なことばを提示できる
   者たちは限られている。知的エピゴーネンが多い。XX論を借りた博士論文!が多い。
   やむえないのかな?短期間で実証的な論文となると、実証できるデーターと権威的な論を
   借用するのはやむえない?!ところも、そのとおりである。

 それぞれが自分たちの陣営のボスになろうとしてもね、凡庸な者たちの顔、顔が浮かぶ
 それぞれの身の丈や頭脳の許容量の中で動いている。
 周りの知の境界がさもしく見えるとき、人はそれぞれの殻の限界、境界を超えることが
 難しいのだと納得!
  
 まぁー、生きている間にスクブンを掘ってことばによる形を提示して、パズルの一部を埋めていく
 それはやりたい!

  お一人ですべてを背負っているような、そんなさもしさはいやだね。
  しのぎを削って頑張っている者たちへ眼差しを向け得ないお山の大将は魅力ないね!
  空虚なラベルがことばの空虚さに重なる!
  隙間から壊れていく論理があり、権威がある。

  隙間の論理、境界の論理はまだ有効かもしれないね!

それと、やはり一遍の詩や小説にかなわないものがあるね!『眼の奥の森』のセイジのことばには
 泣けても、論文に魅了されることは、んん、矢野輝雄の『沖縄芸能史話』は沖縄芸能の指標だね。
 あんな本が書けたらいい。書きたいテーマはいろいろあってまとめたいが前に進まない。
 

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