舞い上がる歌の翼に乗せて跳べ
──「連歌デモ」にあふれる魂の声
河津聖恵
去る七月五日から、ツイッター(短文投稿サイト)上で、私がまとめ役となり「短歌を詠み継ぐ脱原発デモ」を始めた。名付けて「連歌デモ」。脱原発への思いを三十一文字(破調も可)に託し投稿する。全作「詠み人知らず」という扱いで名は付さない。他人の歌への返歌でも、独立して詠(うた)ってもいい。
専用サイトに投稿順に掲載しているが、3週間で早くも1000首を超えた。この「デモ」が始まる4日前に大飯原発が再稼働したが、その重苦しい事実を打ち破ろうとするかのような勢いだった。
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きっかけは、以前からツイッターで交流していた男性Sさんが、ある時「呟いた」歌だ。「君の〝声〟聴きしとき君は海を越え北の大地で時に鬱(うつ)む」。「君」とは、Sさんが一度も会ったことがない、ツイッター上でだけ知り合った女性のこと。
北海道に避難した彼女を励ますために、Sさんは不慣れな短歌を送り続けたという。歌には「あなたをツイッターで知ったとき、あなたは北海道に避難していた。その土地で時折悩むあなたに、ぼくは何もすることが出来ない」と書き添えられていた。
Sさんの歌に心を打たれ、私も生まれて初めて一首詠んだ。「闇深く〝声〟を灯して君はいた破壊された言葉の荒野に」。たどたどしいがこれも事実にもとづく。原発事故後私もツイッターを始めたが、ある時福島の男性と「言葉の変貌ぶり」について言葉を交わした。身近な魚や植物の名さえももう疑わしい、「ベクレル」や「シーベルト」が平然と行き交う日々は辛い…。「日常の言葉のどこに日常がありますか?」
私に向かい鋭く放たれた問いかけに、言葉が出なかった。その「荒野」の記憶がおのずと歌となった。
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2首に続いて次々歌が寄せられた。#(ハッシュタグ)を付けて検索しやすくすると、さらに輪は広がった。今1000を越えた歌の全てから聞こえてくるのは、市井の人々の裸形の声だ。多くが現実のデモの参加者であるが、ここでもまた同じ思いの者同士が集っているという意識が、互いを触発し、魂の声を三十一文字からあふれさせている。生きたい、殺されたくないという悲鳴、希望と絶望が渦巻く葛藤、よるべなさ、孤独感、喪失感、それでも手放さない明日への意志──。
「血塗られた未来を選んだ覚えなしたかが電気に誰か額ずく」「十七万分の一の確かさに赤旗号外握りしめたり」「母と子の暮らしは続く明け暮れの他郷の風柔らかく吹け」「郡山の生活語る五十嵐君に全校生徒皆涙す」「「『原発さえなければ』と書き逝きし人思い木霊し炉鎮めさせよ」「舞い上がる歌の翼に乗せて跳べこの夜の闇と絶望の空へ」…
「デモ」は1万首を目指している。原発を再稼働させる反人間的悪意を、言葉という最も人間らしい力で止めるために。だが一体そんなことが可能だろうか?
その答えを、同じ思いを抱く多くの人々と詠い継ぐことで模索していきたい。
(かわづ・きよえ 詩人)
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投稿規定:http://reliance.blog.eonet.jp/default/2012/07/post-9dcf.html8月末に1000首掲載した歌集を刊行。1部700円(送料込み)申し込みは「連歌デモ歌集希望」と明記し、ファックス(06-6772-3861)かメール(kiyoe51803291@kib.biglobe.ne.jp)で。