志情(しなさき)の海へ

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SNSを見ると週刊文春が映画監督やプロデューサー、俳優男性の「性加害」を特集しているのですね。いつから性暴力(性的暴行)ではなく性加害の表現に~?

2022-04-06 23:12:15 | ジェンダー&フェミニズム
最近、アマゾンプライムをまとめて観た中にアカデミー賞を受賞した「スキャンダル」がある。「スキャンダル」はアメリカのFOXテレビのCEOによる優越的な立場から女性キャスターやアナウンサーに対する性暴力の告発映画だった。ケリー・メーガン(Megyn Marie Kelly)というFOXの看板キャスターのキャラも登場する映画で、2016年に研究室にこもっている時、追いかけて見ていた大統領選挙とのからみでよく登場していた女性ゆえに、興味深かった。

ただFOXのこのスキャンダルは大統領選挙を追いかけて見る前、2016年の夏頃の出来事で、そこまで意識していなかった。映画になったのは2019年だが~。ウィキリークスのアサンジが盛んに民主党のヒラリー陣営ではなく、トランプを応援している事実に関心を持っていた。共和党の大統領候補にトランプが選ばれた後からも、メーガンはテレビで、ネットでよく登場していた。その後ケリー・メーガンはどうしているのだろう。

スキャンダルの冒頭からトランプのセクハラについて追求していたメーガンだったことに驚いた。FOXは共和党支持でリベラルの民主党と敵対しているゆえに、メーガンのスタンスがFOX的ではないと感じていたが、ウィキピディアを見ると、現在彼女はアメリカ合衆国の放送局であるNBCのニュースキャスターであり、政治コメンテイターである。以前は2013年から2017年1月6日まで、FOXニュースニューヨーク本部から冠番組である「The Kelly File」(英語版)のMCを務めていた。同様に冠番組である「America Live with Megyn Kelly」(英語版)のMCを務めていた。彼女は2014年、「世界で最も影響力のある100人」に選出されている。

このFOXのCEOが引きずり下ろされた事件が、#MeToo運動の前に起こったことは、先触れだったのかもしれない。なぜかその#MeToo運動が日本に遅れてやってきたように見えるのが、最近の園子温監督の「性加害」の告発である。なぜ性暴力ではなく、性加害なのだろうか。昨今は性的な被害をメディアは「性加害」の表現で統一しているのだろうか。明らかに女優さんたちはキャリアのチャンスをチラつかせられながら、強引に性的な被害にあっている。レイプや准レイプだと訴えている女性たちも~。そう言えば映画の冒頭で、夫婦間にレイプはないという発言に対して、メーガンが違和感を覚えていた発言があった。

園監督に連動するようにプロデューサーの細川治男、そして映画監督・俳優の榊英雄、そして名脇役の木下ほうかが週刊誌やSNSで彼らが犯した性加害が告発され、かつ追訴されている。

映画や演劇などの芸能界、マスコミ界の優越な地位にある男性による性的加害が常習だったこの間の業界の悪弊が、日本でも遅れて表に浮上なのか。そういえば、ノーベル文学賞がセクハラ問題で受賞者発表が1年間延期されたのも最近の事だった。権威を持つ存在のセクハラは世界共通ということになるのかもしれない~?社会的に優位の立場にない多くの男性たちは、優しいのだろうか?それとも常に男性が女性より身体、経済的に優位ゆえに、女性たちが被害にあうという公式がなりたつのだろうか。んんん、一概に言えない曖昧さがここかしこにあるような~。家族の関係性はどうなのだろう。

人類史が長い、長い家父長制度を基本に営まれてきた歴史を鑑みるに、著名なチョムスキーや、例えば昨今人気の高いYuval Noah Harariさんにしても人類の文明や文化の進化の象徴として、女性たちの自由の獲得に必ず言及するように、同じくピンカーさんの楽観的歴史観(暴力は減少してきた)に沿った形で、女性たちの人権も、キャリアも男性と同じレベルになってきた歴史の現在であることは事実だと言えそうだが、歴史の水脈にある家父長制の大河は大きい。世界のランキングとしてのジェンダー平等の数値は北欧が高く、日本はまだまだかなり低いレヴェルで推移している。

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2021年3月、世界経済フォーラム(WEF)が「ジェンダーギャップ指数2021」を公表し、日本は156カ国中120位という結果だった。2021/09/10
経済: 0.604(117位)
政治: 0.061(147位)
教育: 0.983(92位)
健康: 0.973(65位)
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さて伊藤志織さんの事件(女性ジャーナリストレイプ事件 - Wikipedia)があったのはつい最近2017年だ。『Black Box』(文藝春秋、2017)で顔と実名をさらしてセクハラを告発した 。#Me Too運動の日本への影響があった大きな象徴的な事件だったと思うが、日本のフェミニスト運動の理論的なトップ、上野千鶴子さんなどは当初だんまりだった。伊藤さんの場合はジャーナリストとしてのキャリア志向で、その分野で優位にあった男性による准レイプと判決が出た。

ネットで上野千鶴子と伊藤志織の名前を打ち込むと、以下の論稿が読める。総括のようにその発端から当時の状況をまとめている。セクハラと記載している。セクハラの定義は性的なことばの暴力から実際のレイプまで範囲は広いのだろうか。しかし、セクハラは「性的言動を含む性的嫌がらせ」とある。伊藤さんが経験した准レイプまでその言葉が包摂しているのか、ちょっと疑問に思った。

日本社会も変わりつつあるのかもしれない。女性たちが声をあげるようになった。お互いの性的特性が十分考慮されたジェンダー平等社会になると(←どうもこの考えも問題視される現況のようで~。しかし、性のアイデンティも多様になっている現況で、将来的には性差は全くなくなることが予測されているのだろうか。つまり女性が子供を産むのではなく、子供も精子と卵子を機械的に受精させてカプセルの中で生まれるようになるのだろうか?サイエンス・フィクションの中ではすでに描写されている。)この社会は女性たちにとってもっと住みよいものになりえるのかもしれない。(コロナ禍で女性の失業や自殺が増えたことが、男女機会均等にほど遠い現実を見せつけている。)

ジェンダー&セクシュアリティ&フェミニズムを専門的に研究しているわけではないので、昨今の理論なり実践がどのあたりにあるのか、よくわからないのが事実。ただ博論を書いている時は、ジェンダー&フェミニズムの新しい理論は参照した。しかし、日々新しい理論が登場する時勢である。LGBTQなどの事象・事例が与える社会的インパクトも少なからず浸透している現実があるのは確かだろう。例えばトランスジェンダーの【男性⇒女性】によるスポーツ界の異変など~。

沖縄の場合どうだろう。女性のパワーが強いと評判の沖縄でも女性たちは男女機会均等法の理念に遠いのだろうか。能力が十分生かされたポジションにあるとは言えないようだ。職種にもよるのだろう。また文化人としてまぁ名の知れた人物が眼の前で女性を追いかけ回したり、研究者の女性に居酒屋でハレンチな行為【セクハラ】をすることはあったのだが、彼女たちはそれを告発してはいない。不思議と男性たちは仲間意識で擁護していた。そうした行為は性加害、セクハラとして今後告発されていくのかもしれない。日本の大学の場合、隠蔽される傾向があるようだ。大学の評判を落としたくない企業論理なのかもしれない。80年代のアメリカは、ちょうどゲイなどがOut of Closetする時勢で、大学の学部長が性的アイデンティティーを公表し、研究室内のセクハラが大学新聞で大きく取りあげられたりしていたと記憶している。
 

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