(つぶやき)
地球史、人類史、世界史、日本史、琉球史とありますが、アジア史、太平洋史、中国史、朝鮮史、ヴェトナム史と個々の地域の通史を含めると世界には国家の数、あるいは民族の数に匹敵する歴史が記述されていておかしくないですね。
たまたまこの休みにふとしたことからオスマントルコを題材にした歴史物語をYoutubeで見ることになって、びっくりの物語で、ひきつけられている。奴隷として売られてハーレムからサルタン(皇帝)の妃の身分に上りつめた女性への関心がひきつけているのかもしれない。
日本語バージョンでウィキピーディアにもこの長期のシリアルトルコドラマについて紹介されていない。英語バージョンはしっかり紹介されている。それで残念に思っていたら、歴史関連ではしっかり主人公達が詳細に紹介されているのである。良かった。物語の推移に興味を持ってみたら、ドラマのあらすじは、ほとんど主な物語の軸はわかったので、面白みが半減するのではなく、予見と共にメロドラマの面白さがはがゆくなく見れるというところがある。ドラマのスピードは遅いし、ゆっくり見れるのも限られているので、予見性がもてるのはいいと思っている。
言いたかった事は奴隷=人間以下の存在が普通の人間を超える運命があるということは、規範なり表象のシステムを超えるルートが常にあるともいえる。その手がかりは人間のかかわりという事に尽きるのだろうか?そして男女の愛の物語に尽きるとも言えないのだろうが、関係性の綾の基軸にある生=死=性(愛)=家族=社会の位相がやはり大きな鍵なのかとー。多民族と多宗教の持つ世界のありようは過去から現在に続く4000年2000年以上の歴史の現在である。???
(つぶやき)
ネットでGOOGLEさんに打ち込むと、ウィキピーディアが詳細に現在に至る人身売買、身売りについて報告しています。[日本語版より英語版が詳しい]日本は人身売買に関して世界の人権規範の中では劣等国家だと認識されているのですね。世界の貧しい国々への売春旅行が日本人男性の中では今でも人気があるとのことです。セクシュアリティーにかける人間の男と女の差異とその二重規範は紀元前から変わることなくありつづけるという人類史の事実から何が見えてくるのだろうか、ということなんですがー。紀元前のエジプトでもギリシャでも、ローマでも、そして21世紀の現在でもなんですね。なぜ?
国連人権委員会の特使が日本に関する限り、沖縄をターゲットに調査や聞き取りをするという現況が伝えることは何だろうか?日本一の最貧困県の貧困と少女達の性の収奪の構造が露なスポットということに他なりませんね。
先日、東大卒で琉球大修了、オーストラリアの大学の博士課程で学んでいる国籍曖昧な男性が東京についでゲイバーが多いのは沖縄だと話していてびっくりしたのですが、見えない人間の関係の綾はそういうエロスとタナトスのカオスの中に隠れているのかもしれませんね。表の政治的動向と裏の生=性=聖=死=実存=瞬間=ローソクの炎=美=一瞬の美=記憶=記録=表象=再現=循環=存在・実存の真実、語られない無数の物語(生と死、の間の愛/葛藤)等々があるのでしょうね。HIVの罹患率、沖縄高いとのことです。気になります。
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明治5年の法令にびっくり
上ノ娼妓芸妓は人身ノ権利を失フ者ニテ牛馬ニ異ナラス人ヨリ牛馬ニ物ノ返弁を求ムルノ理ナシ[芸娼妓は牛馬と同じだから牛馬に物の返弁を求めるのに「理」がないので]、従来の娼妓芸妓へ借ス所ノ金銀並ニ売掛滞金等ハ一切債ルヘカラサル事 明治5年十月二日 第二百九十五号布告 とある。
有名な娼芸妓開放令で、その後個人や家族の成文書により、借金をし、その返済のために身を妓楼に売り弁済するという抜け道を用意したものだったようなー。
牛馬と同じに扱われていたのですね。よりひどいし、人間扱いされていなかったのですね。芸娼妓は人間ではない。動物と同じである???奴隷は人間ではない?人間は奴隷ではない?