志情(しなさき)の海へ

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「一の花」が「初花」へ、「ロータス」が「蓮華(れんげ)」に変わった「八月十五夜の茶屋」の新翻訳!

2012-06-25 22:05:47 | 「八月十五夜の茶屋」科研研究課題

          (『八月十五夜の茶屋』 沖縄占領統治1945、彩流社、2200円、梓澤 登翻訳、ヴァーン・スナイダー著)

気になる翻訳の登場です!読みやすく、わかりいいのかもしれませんね。

2011年の9月10日に県立博物館・美術館で映写と「八月十五夜の茶屋」小説、演劇、映画の比較検証」のシンポジウムを開催した時、田場由美雄さんも参加していましたね。梓澤登さんと田場さんは懇意の仲で、田場さんが翻訳の校正などお手伝いしたのですね。その関係性は素敵ですが、シンポジウで論じた事柄はまたこの新しい新訳本の中で生かされている、という事に驚くと同時に、このようにスキャンされるような情報の流れが気になったのは確かです。以前の「八月十五夜の茶屋」の翻訳の元ジュリの女性たちの名称(ロータス・ブローサムと一の花)はなかなかいいと思っていたので、初花さんと蓮華さんには違和感を持ちました。まだ中身を全部読めませんが、冒頭のことばと解説やスナイダーのエッセイは読みました。梓澤さんが昨今の研究の成果をそれなりに汲みながら翻訳され、解説を書かれたことはわかりますが、直感としては、先行研究なり問題提起はそれなりに尊重した記述があってもいいなーと、意図的にネットで3カ年の研究の成果なり過程の思考をUPしている者としは、情報が単純に掠め取られることへの不愉快な思いが一瞬浮かんだのは、事実です。論稿だと、先人に、先行研究者に敬意を払ってその論稿なり、著書をご本人のお名前も一緒に掲載します。それは礼儀だからでもあります。

知識の流れ、知覚や認識の積み重ねを大事にします。それだけのことですが、ご自分だけの発見なり知見のように開示されることばには拒否感が起こります。ご自分がお山の大将になっている男性の方は結構大学村でも見かけますが、エゴーの輝きこそが、人生さ、でも、まぁーわかる人はわかって、騙されるひとは騙されたままー。最も行ってもいない月着陸を、国をあげて世界を騙す軍事帝国もありますから、もう何でもありかもですね

わたしたちのプロジェクトも大詰めだが、来年は報告書を一人100枚はまとめることができるだろうか、それをそのまま出版できたらいいのだが、英文論稿も来年3月1日までには完成させる計画である。300ページほどの研究書でかつ一般受けできる形態の本ができたらいいなーと念じている。研究論文は修士論文、博士論文を含め多様である。「蝶々夫人」と同様、西洋とアジア関係のアーキタイプの一つと解釈することは、まさにその通りでもあるゆえにー、新しい知見をどう提示できるか、どの学問領域も批評も、問われていますよね。

黄金の蛹は今日も元気だ!梅雨が明け、オオゴマダラの蝶が早く飛びたつのかもしれない!


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