大学キャンパスの四季の変化を楽しんできた。今この空間を大事にしたいと思うゆえに、歩きながら目に付くゴミ(紙くずなど、目に癌に映るもの)をひろってキャンパスに設置されているチリ箱に入れるようにしている日々。
以前なら大きな紙片が芝生の上で目だっていても全く無視していた。美化要員の方々が何かやってくれるのだろう、の心持だった。しかし今、歩く場所で目に付くゴミは取れるなら取ってチリ箱に入れるようにしている。それは街に出ても、そうだ。気になるプラスチックバッグやペットボトル、カンでもそうだ。ただなかなか外にでる機会はない昨今だ。大きな枯葉が朽ちていく様子を見るに、そこにも風情は漂っている。自然に溶解していくような感じさえうける。ひときわ夕方になると鳴き声がソプラノのように響くイソヒヨドリさんの自然の美への貢献、共生していることによる驚きと和やかさは、生きている歓びに繋がっている。
君達がいてわたしもいる。朝「きゅうようはし」を、薄暗闇の中を通り抜けると、橋にライトは点っているがー、野良猫がやってきた。みゃーんと挨拶するので、こちらも「みゃーん、みゃん」と挨拶した。
なぜが室内や廊下に湿気がこもった日、雨の日のように湿っている。水気が当りに籠もっている一日だった。それも不思議な気がした。雨はなく湿気が満ちている日。夏の間も湿度が異常に高い沖縄島である。この湿気は人の体質も感性も変えていくのだろか?乾燥した風土の人間と湿度の中に住んでいる人間の違いは0.00000001%あるのかもしれない。