(金満里さんの絵葉書をご紹介します。ご自身が演出と役者を兼ねています!劇団「態変」)
(つぶやき)
nasaki @nasaki78
台風が押し寄せて昨日は自動車道で100キロで走ると車が揺れた。劇団『態変』の金さんの一人舞台を見た。キジムナーフェスタはパンフや冊子は充実しているが、観客は以前の熱狂がないのだろうか?知花昌一さんもご一緒で金さんとお話した。ご自分のアイデンティティーを際立たせた身体表象に拍手!《友人のシャイヤステ榮子さんもご一緒。金さんにご紹介する。彼女は熱心にキジムナーの舞台を観劇し、かつシンポジウムや講演も参加している様子である。わたしはほとんど参加できない。以前の熱狂が感じられないが、そういえば屋宜先生のお嬢さん、朋子さんともお会いした。英語に翻訳された組踊本がやがて出版されるという。これは画期的なことですね!屋宜先生に以前から出版されないのですか、とお話していたので良かった。国立劇場の予算から出るという。販売したらいいね。首里方言の説明がなければいいのだが、どうだろう?英語監修が、Performing artsの専門家だといいね!)
今日から2012年8月1日、強風の中、蝉時雨は襲ってこない。じーっと嵐が収まるのを待って幹にしがみついている蝉の大群に思いがいく。また元気な愛の叫びを聞かせてね!
ここで1句
《狂い風 俺達の恋歌 かき消すな》
《しがみつき 幹にしがみつき 耐える恋》
《狂い風 家の中でも 狂う蝉》
《平穏に 言葉の海を 泳ぎたい》
《言葉には 棘もあふれて 槍もある》
《人殺し 言葉の殺人鬼 ここそこに》
▲東京からの電話は、人権侵害の具体的データーとしての、知識人層による沖縄差別の実例についての問い合わせ:それを国連の人権委員会とかで報告するとのこと、軍事‥政治・経済‥社会的諸相とはことなる文化環境での、メディアも含めた人権差別である。
『イモとハダシ』の書物の中のある論稿が沖縄移住者による無意識の沖縄差別、人権侵害のモデルではないか、の指摘に驚く。彼の視点はいつでも見えないところを指摘してくるので、スリルはある。なるほど、読んでレスしたい。手元になかったので、図書館にでも!池田信夫とか、他、知識人層の差別意識を問題にしていたのが興趣だった。内から差別構造を支える仕組みもあるのよとの対話にもなった。最も名高い日本の右翼系《歴史修正主義者》等のメディア人や論陣を組む面々も多いのだが、かれらの沖縄への眼差にある差別なども人権侵害として主張するのだろうか?マジョリティーによるマイノリティーの差別構造はもうその仕組そのものが差別的構造で、その表象の部分でそれを凌駕するものの実態、ことばと思念、からくりの問題があるね。さてTWITTERで池田には酷い論理だとのつぶやきが寄せられていたが、それでも紹介しようかな?
それにしても東京からの声が明るいのにほっとした。東京はまだ暗くはないのかな?TWITTERでは天皇の京都への移住のブログも垣間見えて、東京人の西への大移動があるのかという錯覚に陥るが、放射能関連の危機意識が濃厚にあふれている。沖縄への移住組も増えるのだろう。そこで文化摩擦も起こりえるのだろうね。どの世界も多人種多文化の融合なり混交の中で推移していくのだろう!東アジア共同体へ、アジア共栄圏へ?と向きえるか?太平洋の島々の研究などは太平洋、海の資源獲得の利害構造と絡んでいくのだろうと思うと学問がネーションの利害の先端に位置すると思うと、大学知識人たちの研究も俗の香水をどっぷり冠っていることになる。やれやれ!
7月30日、フランスのリール第3大学で日本語を教授する竹本俊雄さん(比較文学のご専門)と宜野湾セミナーハウスで2時間ほどお話した。インタビューということだったが、氏は沖縄の現代演劇の概観に興味をもっている様子だった。組踊から現在までを網羅して話すことになるが、するといかに沖縄のパフォーマンスがことばとリズムに根を下ろしているかが見えてくる。そして朝薫の頃からの多文化主義的要因である。それを例えばロシア演劇や美学をご専門の大阪大の永田先生なども多文化主義ではないかと今年1月の台北での研究集会で質問されていたが、琉球王府時代から現代まで、多分に多文化の影響を受けながら独自の総合的な美としての演劇を生み出してきたのである。その基軸にあるのは琉球‥沖縄的感性で、琉球語と琉球のリズムにほかならない。故事伝説もそうだ。輸入された伝承なり説話もあり、相互接触の中で取り入れたもの、捨てたもの、残り続ける慣習や心象や宗教性がある。
以上メモでした。《備忘録!》