志情(しなさき)の海へ

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琉球史劇≪謝名原の乱≫です:12月21日、22日、国立劇場おきなわ大劇場、再演必見!

2013-11-06 12:13:25 | 沖縄演劇

こちらは船越義彰さんの作品で以前は真喜志康忠さんや玉木 伸さん、太田守邦さん、兼城道子さんや吉田妙子さんが出た舞台だった。切腹が気になった舞台でもあった。当時この琉球の士族層の中で切腹がありえたかどうかが今でも曖昧である。護佐丸は中城場内で切腹したのだろうか?刀を腹に突き立てる場面や、切腹を暗示する演出がなされている。1609年以前に切腹がありえたか?問はまだ明確にかえってはこない。薩摩配下にはいって切腹がありえたかどうか、資料の中では刀で脅し、首里の士族の家族に切りつけるような薩摩藩士の姿が見える。刀を差し士族の妻を差し出せと強制した姿が写し取られている。しかし、切腹の達しの公文書があれば、どなたか教えてほしい。そういえば1735年だったか、平敷屋朝敏は張り付け刑である。腹を槍で刺されたことになる。大和(薩摩)の処刑の模倣だったのか、薩摩の刑法や刑罰がどれだけ琉球に取り入れられていたのだろうか?

この作品は歴史をフィクション化した作品だが、謝名原家の人間が成敗される。その当主が見事に切腹する場面が最後にあった。士族層による一士族家の壊滅がなされるわけだ。謝名原一族の乱は琉球史のまた一面を見事に描いていると言えようか?歴史家はどう見たのか、どう見るのか?1592年のできごとである。尚寧王の時代だったのだ。演技指導が北村三郎で殺陣指導が高宮城実人である。沖縄芝居の演技指導層の希薄さが見える。沖縄芝居の殺陣や演技の継承は、もはや、ビデオ映像の中から演出家は粋を取り出さざるを得ない時代になったという事かもしれない。それもまた演出の力量が試されている。そして真喜志康忠氏や大宜見小太郎氏らと直に接した者たちが、継承していくのだろう。

思うに仇討物だけが多い組踊より琉球史劇や時代劇の方が柔軟に、大胆に、琉球史を舞台に描くことが可能なのだ。これからは史劇・時代劇の面白さがもっと押し出されてくるだろうね。写実性やリアルさが追及できるのである。型・様式は踏まえながら、芝居クーチョウの良さを生かし、多様な作品が出てきそうだ。芝居は面白いのである。仇討の勧善懲悪の退屈さがある中で史実を追う作品はいいね。膨らみがあります。


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