志情(しなさき)の海へ

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金武良仁ー金武良章→「仁風会」が担う「首里琉」「首里様式」は沖縄芸能の源泉を見つめる時重要だね!

2015-06-15 19:29:41 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

金武良章さんの「御観船夜話」を改めて読んで仲宗根先生とのインタビューに臨んだ。あらためて読んだ。以前は必要な箇所、例えば「忠孝婦人」についてなど、部分的に読んでいたのだが、今回通して全体を読んで、幽かに見えていた琉球王国衰亡の頃から(明治から昭和に至る近代そして)現在に至る沖縄の芸能に思いが走った。

『沖縄芸能、同化と異化と再生』のテーマでまとめたい。それはすでに取り組んでいるテーマではあるが、すでに提唱されている多文化論や異文化接触の生態学などの文脈で捉えることも可能だろう。以前から気になっているジェンダーやエコーロジもまたその中に含まれるが、わずか3年だがアメリカ留学していたころの知識の断片が脈打っていると思うのは弁証法である。アリストテレスから現在に至る芸術や文学、演劇などの潮流が時代の波をスイングしながら滔々と現在に至る一筋の流れをくっきりと浮かび上がらせるのが弁証法だと考えている。

ミニ批評の原稿を書く時、少ない紙面では書ききれないことが多いのが事実。1976年のハワイで起こったことは大きかったのだ。そこにいた女性たち、そこで金武先生の指導で「執心鐘入」を演じた面々が年月を経て、沖縄にやってきたのだった。

おそらく組踊についてしっかりした論文が発表されたのは、そのケネディー劇場での舞台があった故である。キャシー・ホーリーはそのときハワイ大学にいたのだ。信子さんも博士号を取得する過程の中にいた。そして比嘉悦子さんも大学院生だった。英語論文の題名は「Shushin Kanei'ri(Possesed by Love, Thwarted by the Bell):A Kumi Odori by Tamagusuku Chokun, as Staged by Kin Ryosho]by Nobuko Ochner, Kathy Foley. (Asian Theatre Journal, Vol 22.2005)はLiving Spirit: Literature and Resurgence in Okinawa(Hawaii University, 2011)の中にも収録されている。

ハワイが結びつけたご縁が40年の月日を経て12日の舞台化に至ったということは、何かのご縁だった。不思議なめぐり合わせである。比嘉先生からお電話があったとき、2013年にハワイ大で劇団「うない」さんと取り組んだワークショップを思い出した。そこで私は確かに「仁風会」の名刺を持った仲宗根さんとつれの女性にお会いした。その方が仲宗根さんだったのだ。儀間シャーリーン節枝さんには、ハワイ沖縄センターでお会いした。「うない」の本公演のときだ。てっきり芸能(芸術)で博士号を取得している方なのだと思っていた。今回彼女をよく知っているKさんによると、英文学で学位を取られていて、かつ琉球芸能に取り組んでいる方だったのだ。ハワイは沖縄のように、否、沖縄以上に人間関係性が密接だと思えた。

異郷の地を故郷にしていった沖縄人の同胞たちは、苦難を乗り越えながら、かの地に根付いていったのである。英語を母語とする沖縄系三世、四世、そして五世の時代になった。なぜかハワイと沖縄のつながりは深まっている。双子の兄弟姉妹のような多文化共同体社会であったらいいと思う。そこに排外主義は似合わない。共生、共有・共働であり、互いの違いの尊重である。そして人類普遍の価値観を分かち合う関係。その根に歌があり、踊りがある。三線が筝が、太鼓がある。仲宗根良江さんはお話しながら涙ぐまれたモメントがあった。沖縄のみなさんの今回の公演に至る『志情け』についてお話された時だった。

「またいつハワイにきますか?」と、良江さんは聞いた。「毎年でも行きたいです」と、応えたかった。9月第一週の土曜日と日曜日に「オキナワン・フェスティバル」がある。いつかまた!

下の写真は金武良章さんと仲宗根シャロー良江さん


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