「海鳴りの島から」ブログhttps://blog.goo.ne.jp/awamori777の主催者、目取真 駿さんは、4月9日のブログで辺野古の現況を写真で伝えながら、最後に以下の文章で結んでいる。
「もとより、日本は帰るべき「祖国」などではなかったのだ。日本「本土」防衛の捨て石として、沖縄を利用する思考は琉球併合以降一貫している。
NHKでは「ちむどんどん」という朝ドラが始まるらしいが、沖縄の現実を見ていると「ちむさーさー」するな。いや、じゅんによ。さーぱごさぬ。」
鋭利な視点で現に辺野古でカヌーに乗り、埋め立て工事阻止活動を永続している作家の指摘に、今どれだけのウチナーンチュがうなずいているのだろうか。おそらく多くの住民はうなずきながらも現況の桎梏・楔の中で生活している。
政府中枢をトップに据えた、その上に憲法を超えた日米軍事委員会や日米安保があるのらしいが、ピラミッドの底辺で沖縄は収奪され続けている構図は変わらないということを示唆している。ただ日本のピラミッド・システムの中で、生活の中では格差もあり、メリットを享受している住民もいる。しかし沖縄はODA(政府開発援助) のモデルケースで、政府から降りてくる資金はどうも中央に還元されていくのらしい。この軍事植民地のような構図が変わりうる未来はどんな沖縄だろうか?
3万人の国家があり30万人の国家がある。琉球・沖縄の自由や自律性、発展のためにどの方向性がいいのか、沖縄は絶えず葛藤の中にあるのかもしれない。
1879年の琉球併合以来何年か。143年目である。
復帰50年のイベントが盛りだくさんの今年、果たしてどれだけ復帰を問うシリアスな論議がなされるのだろうか。地元紙面もいろいろ特集を組むようだが、ただし、世界の動向について、あるいはコロナパンデミックについての地元の、中央の紙面は全く信頼できない。SNSの中に真実のかけらが散りばめられているようだ。海外のサイトも入手できる。もはや一方的なたれながし情報はいらない。
メディアは、事実や真実の報道を社会正義を担う使命として、あるべきだと思うが、そうは見えない。
作家の指摘を再考したい。