細井尚子先生のコンセプトですが、どうなんでしょう?とても興味深いご研究ですが、沖縄芝居総体をその枠組みに入れた形で沖縄芝居の歴史を東京でのシンポ・瀬名波孝子特別講演でもPPTでまとめていたのですが、沖縄芝居=少女歌劇、との定義に見えます。誤解が生じますね。それから1942年に沖縄芝居消滅という安易な表現が提示されています。一度も沖縄芝居をご覧になっていないともー(?) 琉球の伝統芸能の歴史をしっかり踏まえられて、その興味深いテーマをまとめてほしいものです。琉球歌劇の断片を、伊良波さゆきさんの美声、瀬名派孝子さんの船頭主の骨太の歌唱の一部などを含め、東京で、あまり沖縄芸能に触れない方々にご紹介するという事は、いいとしても、女性による芸能=表象(主体として)ならば、全く理にあっていないことになります。オリエンタリズムで日本からの眼差し(同化政策の過程の沖縄芸能を含め、女性的というお考えなのか?)を少女なり女の表象に収斂させる意図なのかとも見えたが、それでも問題のテーゼかと推察します。矢野輝雄さんの『沖縄芸能史話』などを軸にまとめられたと推察できる『沖縄の近代から戦後に至る芸能』=沖縄芝居だが、少女歌劇系芸能の主題と、どう関係していくのか、宝塚、松竹、韓国、中国、台湾、沖縄の事例を注視したいと思います。
東アジアの女性たちの芸能(演劇・歌舞劇)表象と括ると、んんん、興味深いですね!少女歌劇だとするとー?台湾の事例は詳細な研究のご発表が台湾の研究者からなされていて、すごくわかりよかったです。松竹歌劇の模倣(的)でしたが、少女たちの集団演舞はレヴューのような雰囲気でもあり、北京オペラなどとの関係も気になりました。
身近な研究パネル発表≪英国≫に向けてしっかりまとめなければ、です。細井先生のテーマと少し絡むのですが、論の構築に向けて足元を掘る作業を加速させる必要がありそうです。
女子供がみる沖縄芝居だったのでしょうか?沖縄芝居概論なり沖縄演劇論をまとめる必要がありますね。