志情(しなさき)の海へ

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喜納育江さんの『<故郷>のトポロジー―場所と居場所の環境文学論』出版祝賀会に素敵な崎山多美さんも!

2011-09-26 08:53:03 | グローカルな文化現象
琉球大学英語英文学科後輩・喜納育江さんの単著の出版である。琉球大の英語文化の教員や彼女の同級生が集った。琉球大学国際沖縄研究所関係の方々や大学院生も含め、和やかな会で、イタリアンレストラン「ヨナラボラトリ」は初めてだった。

回りに自然の匂いがする空間である。共同研究をしている渡久山幸功さんや名嘉山リサさんも集って、『八月十五夜の茶屋』の上映会&シンポジウム以降の動向、その後の反応を含めてどう対処するか、その場で話し合いができたのも幸いだった。

山里勝己さんが育江さんの研究書の背景や琉球大の英語文化学科のアメリカ文学・文化研究は、エコークリティックの有力な研究者がそろっていることその意義について話した。なるほどで、エコークリティシズムがスナイダー研究でPhdを取得した山里さんを中心に日本のアメリカ文学研究の中で無視できない成果を生み出しているということは、琉球大の大きなメリットの一つなのだろう。喜納さん、そして山城 新さんに続くその研究体系なり深まりは目を惹きつける。

色艶のある文章で心ときめかせる喜納さんのアメリカインディオの作家、それも女性作家の研究や、昨今のチカノ文学・文芸研究は興味深い。それが沖縄ネイティブとの関係で(彼女は自分のことをそう呼ぶ)今後どう展開されるのか、に関心は行く。また琉球大国際沖縄研究所で今年からジェンダーブログラムを率先することにもなっている彼女の今後は注目の的だと言えるのだろう。40代半ばからこの10年の内に何冊の本を上梓していくのだろうか?まぁ一冊の研究書も出版できずに退任していく方が多い中での快挙だろう。女性研究者が少ない現況の中で、女の感性・経験がどうことばになり論理化されていくのか、同姓としての立場から注目したい。

この出版祝賀会には大城貞俊さん(作家・琉大准教授)も顔を出した。最も興味を惹いたのは小説家の崎山多美さんのスピーチである。同世代の彼女の感性の鋭さと共にその小説世界の「乾きや潤い」に常に関心を持っている。沖縄芸能の中身に、その本質的な問題や誤謬にも眼差しを向けてきた彼女のことばに耳を傾けたいと思った。それゆえに二次会に豊見山和行さんからもっと飲みましょうとお誘いを受けた時、同行することにした。(豊見山さんはまたとても色気のある優れた研究者で、普段から注目している方!近世沖縄歴史研究に画期的な視点を次々打ち出していて、物腰も柔らかい。二次会の席の会費をすべてもってくださった!謝!)

11時前まで首里の、とある居酒屋で喜納さん、崎原さん、多美さん、豊見山さんとワタシの5人でことばのリレーがなされた。多美さんの鋭いことばに感応しているワタシがいる。大城立裕氏のことも批評の話題に上った。いちいち最もだと感じているのもその通りで、女の感性を大事にすることが問われている。それにしてもワタシの周りの魅力的な女たちは皆多美さんと同じ年回りである。真喜志きさ子さんも上里和美さんも!
(同世代として崎山多美さんは好きな小説家である!)

女の視点から見ると、総べてがまた違った風景に見えてくるのもその通りなのだと単純な事実に思い至る。今後崎山多美の小説や批評は総べて読もうと思う。文学と政治に対する異議申し立てもありえそうだが、沖縄的なコンテキストの政治性と文学性は切り離しようがなく、それはそれで男たちの感性・闘い・傷の深さ軽さも、彼ら【人間】が好きなワタシには興味が尽きない。対幻想を断ちきれない者としては彼らの位相や感性のありかは、この社会やこれまで人類が辿ってきた歴史・文化の総体のその上のまた一つの風景(光景)でもある。全く同じ主体・男がになったことばの歴史があり、その従属的女(客体)のままだったのか、否、また異なる位相の現在でもある。

失われたものを修復する、取り戻したいという焦りだけではないもの、そこに溢れてほしいものを求めてことばを紡いでいきたいという思いは諦めないでおこう!生きている間、あの谷茶の按司のことばは生きている!組踊の作品の面白さをまた別の切り口で展開したいね。

それにしても舞踊のガマクの話を含め、崎山多美さんの身体の柔らかい仕草(実際に彼女は真境名流の手を見せてくれた)に驚いた。文学の中に身体性をという時、喜納さんに欠けている点がその辺だという事に気がついてくれたらいいね。

思うに人も作品も論文も色艶がある方がいいと思うけれど、多美さんの文章の乾き(潤い)はご本人の表象・色艶の対局にあるように見えた。それもワタシの錯覚(幻想)だろうか。彼女は艶のある女性である!だからひきつけられているのかもしれない。

【芸能と政治や権力との癒着は宿命かもね、の多美さんのことばはその通りで、しかしそこに反乱なり攪乱なり何らかのカオスの可能性を見たいと思う片思いを生きているのがワタシの現在かもしれない!民衆の劇場を所望する心、社会の制度(システム)を穿つ矢?!】

私の白鷺さんは、乾きの渦をまた生きているのだろうか?

(写真など、肖像権もあり、不都合な方は是非ご連絡ください。削除はいつでもOKです!)
(なぜか喜納育江さんの画像検索をしたら御紹介した写真が2枚とも削除されていましたね!祝賀会の様子をお伝えできたのかと思ったのですがーーー?)

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