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学生時代の一時期、なぜか大嶺信一さんのアトリエで油絵を習ったことがあった。どうも短期で幕になったようだった。この美術館コレクション展のチラシの中に氏の名前は掲載されていなかったが、思いがけず「モナリザの反逆」を見ることができた。
以前パリのルーヴル美術館で見た実物の「モナリザ」の絵画はとても厳重に展示されていて、そのサイズの小ささ(77cmX53cm )に驚いたことがある。レオナルド・ダ・ヴィンチのこの世界的に有名な作品は、最もパロディー作品が作られた、とウィキピディアに紹介されている。大嶺信一さんは、パロディー精神を持っていたのだ。はじめて見たので、面白いと思った。
26日、博物館・美術館で1月29日から開催されていた「沖縄美術の流れ」を最終日に拝見できて良かった。若い頃は画廊をぶらりと見て歩くのは好きだったが、それも遠くなっていた昨今だ。
構成が「沖縄戦」「ベトナム戦争」「国家」、そして「越境」のテーマで、おまけに海洋博の動画を鑑賞するコーナーがあった。沖縄、日本(本土)のみならずアジアの現代作品も展示されていて、さらに興味を引き立てた。以前『アジアをつなぐー境界を生きる女たち』1984-2012の企画があったが、とてもよくて全体を網羅した書籍も購入したことがあった。
この間すでに目にした絵画もあったが、全体的にとても印象深かった。最終日なので混雑しているかと危惧したが、ゆったりと、一人で会場を貸し切りしているような感じで鑑賞できた。海洋博の映像記録まで観たのだ。
戦争のコーナーでは儀間比呂志の版画が衝撃だった。儀間さんの思いの深さが白黒の版画からどかっと迫ってきた。
チラシを見て儀保克幸の彫刻「ここにいるわたし」が気になっていたのだ。実物を見て驚いた。少女が後ろに結んだ両手には何とハジチが描かれていたのだ。一本の楠木を彫り込んで造形された少女の全身!木目が微妙な色合いを見せている。時と共にまたその色合いも変質していくのだろうか。
『越境』のコーナー、照屋勇賢のピザボックスの作品《来るべき世界に》ー2004年に沖縄国際大学に在日米軍のヘリコプターが墜落した事件をもとにつくったもの、そして 粟国久直のDiagram/Cubeなど、この間見ていなかったので覚醒させられる展示会だった。
これからは気になる絵画や彫刻展など見て回りたいと切に感じた。
そいういえば25日の沖縄文化協会の研究発表で豊見山 愛さんが言及していた藤田嗣治の二科展に出品した作品「別決の島」(那覇)は実際に『美術の秋』が展示されていて、確認できたのは良かった。その中には「土人の家族」(族家の人土)もあった。当時土人という言葉は普通だったのだろうか。日本以外の劣等民族と見なした人々には土人と呼び捨てにしていたのかもしれない。昨今も沖縄の人間を土人と呼び捨てにした大阪の警察官がいたが~。
絵画が喚起させる衝撃に瞠目させられる機会だった。
26日は刺激的な一日だった。その後の作家とのユンタクの中で、袋中の「琉球神道記」をまた紐解く必要を感じた。
それから医者から短い余命を告げられた女性を見舞った。思ったより元気そうで彼女のハレの舞台を実現させたいと意を強くした。
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