神里雄大の新作「ニオノウミにて」の中で竹生島が登場していましたね。信仰の対象となった島です。神の住む島なんですね。
竹生島(宝生流)
シテ 漁翁(前) 龍神(後) 高橋 章 ツレ 女(前) 弁才天(後) 大坪 喜美雄 ワキ
臣下 宝生 閑
竹生島について歴史←ウィキピーディアから一部転載です。
古来、信仰の対象となった島で神の棲む島とも言われ、奈良時代に行基上人が四天王像を安置したのが竹生島信仰の始まりと伝わる[6]。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番)がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は江島神社 (神奈川県 江の島)・ 厳島神社 (広島県 厳島)と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。
戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、隠居生活を強要された。琵琶湖沿岸を本拠地とした織田信長が参詣したことが記録されているほか、宝厳寺は豊臣秀吉とのゆかりが深い。
近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張した(『大石凝真素美全集』1923年、国華社)。
竹生島に関する伝承
多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1,317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山(標高1,377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている。
坂上田村麻呂伝説のうち坂上田村麻呂の東征譚をモチーフにした御伽草子『田村草子』では、琵琶湖の竹生島の弁財天は田村丸と契りを結んだ鈴鹿御前の化身とされる[7]。御伽草子『鈴鹿草子』でも鈴鹿御前は竹生島弁財天として再誕している[8]。
中世には竹生島は西日本の地震に関する聖地とされていた。『渓嵐拾葉集』によれば、竹生島は大地の最も深い場所である金輪際から生え出た金剛宝石の柱であり、仏陀が正覚した時に座していた金剛座である。故に、この地の本来の地主権現は釈迦如来である、としている[9]。また、島には弁の岩屋と呼ばれる龍穴があり、そこから現れる竹生明神という魚龍(大鯰)が島を7巡りするようにとぐろを巻き、尾をくわえて島を鎮めているという[9]。
中世には水晶輪の島とされ『平家物語』や『源平盛衰記』などに登場する。『渓嵐拾葉集』では、船で近寄ると「りゃんりゃんと響く」島とされている。
文化
竹生島は古くから信仰の対象とされた事から、能の演目や平曲や近世邦楽の楽曲でも取り上げられている。
芸能・音楽
2016年(平成28年)4月25日、文化庁は日本遺産「琵琶湖とその水辺景観−祈りと暮らしの水遺産」(水の文化)の構成要素として他5件を、それぞれ追加認定した[10]。