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琉球組踊続十番【真北風が吹けば】が発行された!帯に五木寛之と佐藤憂!

2011-07-14 21:27:04 | グローカルな文化現象
6月に出版予定だとお聞きしていた待望の新作組踊続10番の誕生である。今日、【花染ぬ手布】-遊女(ジュリ)の表象のリハに行く際、郵便箱を覗くと、著者贈呈で送られてきたのが【真北風が吹けば】(まにしがふけば)である。オレンジ色の装丁に帯の色が黄色で太陽のイメージがする。日本語訳を見ると急いで校正した様子が伺えるが、なかなかいい書だ。お値段も2、000円で求めやすい。多くの方に読んでほしい沖縄の詩劇である。

故東京外語大学名誉教授・半田一郎先生が大城立裕の新作組踊の詞章に注目していた、という事は佐藤優さんがすでに沖縄大で開催された某シンポジウムで話していたが、「現代琉球語の最頂点と言えます」という評価に大きな意義があると言えよう。「新作組踊が琉球王朝時代の組踊をよみがえらせただけでなく、その後の沖縄芝居や民衆言語も踏まえているので、文学史的知識が前提とされます」も納得がいく。新作組踊がある面、この間のあらゆる琉球・沖縄の文芸表象の統合の現在だと考えているゆえに、関心をもっている。

昨今、組踊詞章は何語か?にこだわっているが、半田一郎さんも方言という表現はされない。引用された組踊の定義で當間一郎さんは「地方の古踊やおもろ語、和語を織り交ぜ、8・8調を基調に」と定義している。昨今の主だった研究者の組踊(琉球語・首里方言)と定義するよりはるかにいいと思う。半田一郎も佐藤憂も方言とどこにも書かない。そこがいいね。ただ佐藤優が沖縄人を亜民族と定義するのはどうかと思う。大城立裕さんは民族という言葉を使っている。明らかに琉球・沖縄民族でいいのではないか?なぜ亜民族なのか?その辺があいまいである。すでに沖縄の人間はエスニック集団だと考えられないだろうか?

佐藤憂が強調する8886の民族のリズムは何も彼が初めて強調したことではなくて、以前から琉球の民族的リズムの形として多くの方々が言及しているし、私も8年ほど前に国際学会の研究発表や英文論稿の中で指摘した。琉歌のこのリズムこそ、57577リズムの世界との大きな違いである。

所で、五木寛之が本の帯で「沖縄の過去・現在・未来に注視することなしに、われら列島人の明日はない」と言いきっている点は、日本人の良識的な声だとすなおに受け止めたい。「多様なエスニシティを包摂しえる豊饒さ」を、この日本列島(マンジョリティーの日本人)が真に持ち得る時、この国の大きな脱皮がありえるのかもしれない。

(五木寛之さんの短い帯はいいね!)

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