志情(しなさき)の海へ

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大沢真幸さんの応答が突きつけていることから眼をそむけないこと!「相模原殺傷事件が問う不安」

2020-03-30 01:10:04 | 地球、惑星、宇宙、実存、宗教、神秘

弱さを抱擁する共同性ー相互に依存しあう人間

功利主義などの考えからすると社会に有用ではない人間は生きる価値がないということになってしまう。存在とは何か。問われる。わたしとは何か?社会とは国家とは?共存・協働・共生・平和・多様な身体性や精神を包摂できる社会とは?

人間は助けずにはいられない本源的な衝動だと大沢さんは話している。その事例がジョージアのドマニシ原人の化石人骨である。歯が全部ない状態で何年も生きていた証拠であり、老人や障害者が生かされていたのである。現在のわたしたちの社会は重度障害者のみならずあらゆる障害を持った人間は保護されている。障害者と言えば、人は誰でも障害者になりうる(でありうる)存在で、完璧に障害のない実存を半永久的に保証されているわけではない。誰でも障害のリスクを内に持っていることは、言うまでもない。ゆえに自らを超人的な視点で「重度障害者」を見下ろし「社会の役に立たない」と抹殺することに正義を唱えた植松聖さんには死刑の判決が下った。その判決に対して異議を唱える「死刑廃止論者」も少なからず日本にもいると考えられるがー。

「社会に役に立たず、人に迷惑をかけている」ゆえに重度障害者の殺傷に至ったと自己正当化した男性の認識に対し『人に迷惑をかけることに積極的な価値があると提示しなければなりません』と大沢さんは主張する。どのように?

死ぬべき存在である人間の宿命が浮かぶ。死ぬ存在なり実存ゆえにあらゆる存在を否定できない。それはそれゆえに『死刑制度』を否定する根拠にもなりえるかとー。

80代半ばで他界した両親を思い起こすに、もっと長く生きてほしかった。100年でも短いと思えるのは正直な気持ちだ。身体が弱って病院や施設にお世話になり、徐々に老衰してことばも交わせなくなり、自分で食事も取れなくなる状態になっても生きてほしいと思った。死が究極的な宿命だとはいえ、その存在がいとおしく思う気持ちが残る。生きている間思い続けるのだろう。

フランスの哲学者ジャリュック・ナンシーの言葉「人間は死によって共同性を持つ」をもう少し吟味してみたい。人間の営みは常に他者を志向している~。

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https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/5319 ←このサイトより以下の文書を転載します。

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進化:グルジアの歯のない原人

<time datetime="2005-04-07">2005年4月7日</time> Nature 434, 7034

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およそ180万年前の人類社会にも年配者を思いやる行動が芽生えていたことを、1個の原始的な人類の頭骨が伝えているようだ。グルジア共和国のドマニシで見つかったこの頭骨について、Brief CommunicationsでD Lordkipanidzeたちが、そう報告している。 この頭骨はほぼ完全無傷だが、歯が全部抜けている。しかも歯槽骨はすべて、死亡する数年前に吸収されていたようだ。こうした萎縮状態からすると、この頭骨の持ち主は病気か高齢だったとみられ、食べ物を下ごしらえしてやる必要があったのではないかと思われる。共同生活体内に年配者が存在する今回の例は、これまでネアンデルタール人で確認されていた同様の例よりも100万年以上年代をさかのぼるもので、有史以前の人々は過酷な生活ゆえに粗暴で冷酷というハードボイルドな生き方をせざるをえなかったが、年をとって歯が抜けてしまい、無力でつらい時を過ごすこともあったのだろう。この頭骨は、ドマニシで出土した原人化石の注目すべき標本群に加えられる。ドマニシ原人は、アフリカで200万年ほど前に進化してユーラシア全域に拡散したホモ・エレクトゥスに似ているが、他の場所で見つかったホモ・エレクトゥス標本よりも原始的で、身長も低い。

★ジャン=リュック・ナンシーの身体論 - 立命館大学

題に取り組んだ『無為の共同体』(一九八六年)の後に,この共同性を身体という視点から描き. 直したものと ... 2 ハーマンによる『コルプス』読解―身体から対象へ? ... マンが主として取り上げるテクストはナンシーの身体論にして共同体論たる『コルプス』である。

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