長距離☎の中で彼女が話していた詩人・哲学者 John O'Donohue - Wikipediaについて全く知らなかった。アメリカ人の知識人(弁護士&教授)と結婚して生涯学問を通じ、かつ自らの翻訳やエッセイを通して内面を深めてきた彼女は大学の先輩。彼女が「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の詩を書いた 石川啄木のように、わざわざアメリカから☎でふるさとのことばを求めていることが分かる。オンラインで疲れ切っていた時は、せっかくの☎を取る気力も失せたことがあった。
最近はしっかり応答している。時に、ビギンのCDをかけて歌う彼女に合わせて一緒に歌ったことがあった。
☎の中で彼女が現在取り組んでいる翻訳や、故郷への帰巣本能について話していた時、とてもいい本があるわよと紹介してくれたのが、『The Invisible Embrace BEAUTY』 だったのだ。何気なく「いい本ね。とても心に迫ってくるような」と、話したら、「送ってあげるね」と送られてきた本だ。以前は『Metaphor]の本を送ってくれた。それもしっかり読んではいない。一部を引用しただけで本棚に並んでいる。
送られてきた本を見て驚いた。著者について検索してみるとアイルランド出身の詩人、哲学者とある。アイルランドなんだ。一度その土地には行ったことがある。アイルランドとミスティシズム(神秘主義)は重なる。20代に訪れた頃のカトリックの国の佇まいが浮かんできた。思い起こすことが、記憶が曖昧になっていること、あの頃、その後の留学、その大学に行き着くまでの一人旅を思い起こすと、記憶が切れぎれだということに、ため息をつく。自らの人生の旅路を思い起こすことは、それなりの記録が必要なのだということに、面食らってしまったような~。
元に戻すと、その書の中に先輩の彼女の故郷の沖縄、特に幼い頃過ごした名護の山の中のオアシス、へ常に回帰していく心を解く鍵があるのだと、推測できた。3,6,8,9,10章が好きだと絵葉書には書かれている。ということは、しっかり読まなければ彼女に真摯に応答できない。それで読み始めた。懐かしい思いがする詩的散文だ。
「美」がテーマである。不可視の美、思いやり、静謐さ、希望のみなもとを喚起させる美!美しい光景は身近に溢れている。心の中の美しい記憶や喜びや恍惚がある。表層のカオスや醜いものがあふれている中で、美は実在する。美を追い求める心の飢餓もある。渇望してやまないもの、自然の中に取り込まれた美が与える力の大きさがある。神は美であると氏は定義する。美を求める心。美の反対は醜である。「美が象徴するもの」の本質。
YouTubeで作者のインタビュー録音が紹介されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=aqalrRkYP14
John O'Donohue — The Inner Landscape of Beauty