志情(しなさき)の海へ

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言語が脱差別への鍵ー文化で政治包み、抵抗を!

2014-03-29 22:07:44 | 言語

でも、この流れがどう展開していくか、いい方向へ向かうことを念じたい。「正書法」がしっかり確立して、書き言葉が統一されたらいいですね。まず中軸言語の確立をして、それから諸語の方へと展開していくのですね。ただ日本語を母語にしているので、書き言葉となると難しいところがありますね。話し言葉、語り言葉の表記が問題になっていて、そこからまた散文の琉球語表記へと発展していくのだろう。「おもろ」はひらがな表記で、「琉歌」など、漢字仮名交りだ。組踊の詞章は8886の音韻表現だから、ほとんど琉歌と同じで、日本語表記でもその音韻はしかし、異なるところがある。二重性がそこにもある。ただウチナーグチ(琉球語や沖縄語)表記も難しい。丁寧語や敬語にしても、地域差があり、言語のジェンダーなどの問題もあるかどうか、あるのだろう。日本語で書きなれている戦後67年間、戦前の66年間(?)、結構長い年月の中で培われた感性があり、意識がある。その原型としてのミームがある。ミームは文化の伝達複製の基本単位(遺伝子のようなもの)である。文字表記をどう構築するか?日本語に代わる表記の確立(琉球諸語)をどう日常に取込めるか?問われている。

************************以下はウィキピーディアからの転載です。(備忘録)

ドーキンスのミームの定義によると、文化は人の脳から脳へと伝達されるミームからできており、ミームは文化の原子のようなものである。遺伝子は精子と卵子を通じて広まるが、ミームは脳を通じて広まる。したがって、より多くの脳に広まったミームが文化形成に大きく関与していることになる。例えば、ミニスカートはミームであり、それが多くの心に広まることでミニスカートが流行し、文化を形作る。あるいは、歌のメロディはミームであり、人々がそのメロディを口ずさめば多くの心へ広まり、文化となる。このように、この定義により、文化全体を分かりやすい部分に分解し、それぞれがどのように作用しあい、進化していくのかを見ることができる。

この場合、ミームの単位はどのように区切られるかということは自明ではない。例えば交響曲の場合、ある交響曲全体で一つのミームなのか、一つ一つのメロディを一つのミームとするのかといったことである。ドーキンスは、便宜上、複製や淘汰を見ることができる一つの単位を、一つのミームと考えられるとしている[3]。したがって、一つのミームも二つに分けて考えることはでき、二つのミームを一つのまとまりと捉えることも可能である。

ただし、この定義では、なぜあるミームが広がり、あるミームは広がらないのかが、あまり説明できないとリチャード・ブロディは言っている[1]

  • 文化の遺伝単位であり、遺伝子のような働きをする。(ヘンリー・プロトキン)[1]

プロトキンによる定義では、ミームと遺伝子との類似性が強調され、ミームと人の行動との関係は、遺伝子と身体との関係と同じである。つまり、遺伝子の情報が身体の特徴、目の色や髪の毛の色などを決めるのに対し、ミームが行動を決定する。ミームがコンピューターのソフトウェアだとすれば、脳がハードウェアである。つまり、ミームは心のプログラムである。

この定義におけるミームは、文化を分解したものではなく、心の中に存在する。例えば、流行の服がミームなのではなく、「流行の服を着るのはおしゃれである」、「おしゃれな服を着ることは、異性を引きつける」、「異性を引きつけると幸せになれる」などといった知識のようなミームが個人個人の心の中に存在し、これらが一緒に働いて流行の服を着るという行動を起こす。そして他の人の心に「あの服が流行している」というミームを作ることにもなる。服や橋といった文化は、心の中にあるミームが作り出している。

この定義では説明できない点は、知識というものが、人間の心の外にも存在することであるとブロディは言っている。例えば、人間が新しい宇宙の天文学的知識を発見した場合に、それが文化や人の行動に及ぼす影響をどのように考えるかといった問題である[1]

携帯電話で話す男性
  • 文化的に伝播された教訓の単位。ミームは自ら形を作りあげ、記憶に残る複雑なある種の考えになる。ミームは媒介物によって広まっていく。デネット、1995)

この定義ではミームは心の中にあり、心の外に影響を及ぼす。ミームがある心から、外側の媒介物を通じて多くの心に広まっていく様子を、ミームの視点で見ていく。私たち自身が考えを形作るのではなく、考えが自ら「形を作る」というのは、実際にはあり得ない。しかし私たちが「ミームの視点」から考えることで、それにより特定のミームがどのように広まったり、変異を起こしたり、消えるのかを見ることができる。

例えば、「携帯電話を持つ」というミームは、携帯電話という媒介物を通して広まっていく。ある携帯電話で話している人を見た人が、自分もその携帯電話を持とうと考えるようになる、といった具合である。これが何度も繰り返されてミームが広まる。そうした過程における人の振る舞いを見て、なぜその携帯電話が人々を引きつけるのか、あるいは、なぜある携帯電話は人を引きつけないのかを考えることができる[1]

ただし、この定義ではミームの媒介物がはっきりしない場合があるとブロディは言っている。はっきりした媒介物ではなく、人間の複雑な振る舞いを通してミームが広まるケースが多いからである。

  • 心を構成する情報の単位(一つ一つのまとまり)であり、他者の心へ同じ情報がコピーされるように、いろいろな出来事への影響力を持つ。(ブロディ、1996)

ブロディの定義では、ミームは社会における文化を構成しているだけでなく、一人の人間の心も構成している。この定義は、ドーキンス、プロトキン、デネットのそれぞれの定義の大事なポイントを押さえた「実用的定義」である[1] 。

以上の他には以下のような定義がある。

  • 脳内にある情報の単位(ドーキンス、1982)
  • 強い伝染力を持つ知識、アイデア、概念(リンチ、1996)
  • 脳に貯蔵され突然変異によって変質した習性に近い教訓ブラックモア、1999:邦訳106ページ)

歴史

ミームは、「進化論というアルゴリズムに支配される遺伝子」というパラダイムの、文化への適用という形で提案された。リチャード・ドーキンスの著書『利己的な遺伝子』(1976年)で初めてこの語が用いられ、定着した。ドーキンスは「ミーム」という語を文化伝達や模倣の単位という概念を意味する名詞として作り出した。以降、進化論・遺伝学で培われた手法を用いて文化をより客観的に分析するための手段として有用性が検討されている。

文化が遺伝子のような単位で伝達されるという考え方はドーキンス以前にもあった。

  • 旧制度学派経済学者のヴェブレンは、社会や経済の進化がダーウィン的だという考え方を持っていた。
  • 人類学者クロークは、1975年に断片的な「文化的な指示」を人々が模倣しあうことで文化が伝達されると考えた。
  • 最近では、イギリスの生物学者ジュリアン・ハクスリーやドイツの生物学者リヒァルト・ゼーモンらも、20世紀初頭に類似の概念を提唱していたことが指摘されている。とくにゼーモンは1904年に「ムネーメ(mneme)」という用語を提唱している。

さらに歴史をさかのぼると、18世紀啓蒙思想による社会や文化の進歩思想の影響が大きい。もともと生物の進化論は社会の進歩論を自然界に適用したものであり、ミームの考えかたは、進化生物学経由でもう一度この考えかたが社会現象や文化に回帰してきたとみなすこともできる。

また、1985年にはロバート・ボイド(Robert Boyd)とピーター・リチャーソン(Peter Richerson)が、ミームなどの文化的な複製子による文化の進化と、遺伝子による人間の生物的な進化とが相互に影響を与えあって共進化する、という考え方である二重伝承理論(Dual Inhertance Theory, DIT)を提唱し、注目を集めた。日本では佐倉統などがこの理論を研究している。また文化に関心を持つ一部の認知科学者はミームを文化や宗教の理解の助けにしようと試みる。例えばパスカル・ボイヤーは著書『神はなぜいるのか?』で、宗教がなぜ今あるような形で存在するのかを明らかにするためには、どのように個人が持つ「概念」が(ミームとして)記憶され、伝達されるのか人間の認知能力の構造を理解せねばならず、それは認知心理学の実験によってしか知ることができないと述べた。

1995年に、ドーキンスのRiver Out of Eden(『遺伝子の川』[7])が出版された。これは遺伝子進化についての本だが、ミームについても言及している。ドーキンスはこの本で、ミームを「自己複製爆弾」の一つ、ミーム爆弾と呼んでいる。もう一つの自己複製爆弾は生命である。これらを自己複製爆弾と呼ぶのは、自己複製が爆発のように強力な力となるからである。自己複製は、あるものが1つから2つになり、4、8、16、32、64、……と倍々に増えていくことができる(指数関数的増加英語版)。その一つが生命であり、もう一つがミームである。

分類

佐倉統ほか(2001)によるもの[8]

  • 流行ミーム - すでに広まっているもの。定着したものは、習慣あるいは伝統ミームへと移行する
  • 習慣ミーム - 意識されることなく繰り返されているもの。
  • 伝統ミーム - 意識的な活動によって維持されているもの。
  • 掟ミーム - 規範としての正式な承認を受けたもの。ルールなど。
  • 仕掛けミーム - 広めることを意図して人為的に作られたもの。
  • 伝道ミーム - 他者にも伝えようという呼びかけが含まれているもの。
  • 伝説&物語ミーム - 事実かどうか判断のつかないもの。あるいはフィクション
  • ミームに関するミーム - ミームの視点から問題を捉えなおしたもの。メタミーム。

ブロディ(1998)によるもの[1]

識別ミーム(distinction-memes)

私たち人間が、様々な物事を認識できるのは、世の中をあらゆる物事に分割してラベルを貼っている識別ミームが心の中にあるからである。例えば、「日本」とは、日本という識別ミームが私たちの心にあるから存在するのであって、日本という概念は現実ではない。もし日本というミームがなければ、陸と海があるだけである。また、このような概念と現実との区別も、ミームである。

コカ・コーラのロゴマークは多くの人の識別ミームとなっている。

このように、物事についてのあらゆる概念はミームであって、真理ではない。すなわち、ミーム学の考え方(パラダイム)において、この世に絶対的真理は存在しない。なぜなら、物事にラベルを貼るやり方は、何通りもあるからである。例えば、土に対して、「土」以外の識別ミームを使えば、土を分子一つ一つに分解して識別することもできる。

あるブランド・ロゴの識別ミームを心に持っていれば、知らないブランド・ロゴの商品よりも目に入り、買う可能性が高い。例えばコカ・コーラのロゴマークは多くの人が識別ミームとして持っている。これにより人々は店内でコーラを選ぶ時、見慣れないコーラよりもコカ・コーラの方を手に取りやすくなる。

英語が理解できる人、つまり英語の識別ミームを持った人は、英語を聞き取ることができる。しかし、英語の識別ミームを持っていない人は、英語を聞いても理解できない。

このように、心に持っている識別ミームによって、人々の受け取る情報は選別され、行動も変わる。

関連づけミーム(association-memes)

ミーム同士を関連づけるミーム。関連づけミームにより、ある物事(ミーム)によって別の感覚や考え(ミーム)が心に浮かぶ引き金となる。例えば、何かのにおいを嗅いで、過去の記憶を思い出すのは、においと記憶の関連づけミームがあるからである。また、「学校」という言葉を聞いて、自分の「学校での体験」が心に浮かぶのは、学校と「自分の体験」との関連づけミームが心にあるからである。

テレビCMでは、製品といい気分の関連づけミームを視聴者の心に作り出す。例えば、女優の魅力と商品を関連づけたり、音楽の心地よさと商品を関連づける。

戦略ミーム (strategy-memes)

「何々をすれば何々という結果になる」という、原因と結果に関するミーム。このミームが心にあることで、そのミームに基づいて人は行動する。例えば、パソコンの使い方、車の乗り方、日常会話の仕方、人間関係における行動の仕方等、様々な戦略ミームが心の中にある。ただし、人間は予測の付かない行動を取ることもあり、そうした場合は戦略ミームは関係ない。

人は無意識の中にたくさんの戦略ミームを持っている。戦略ミームは物事への予測を持っているが、常に予想通りになるとは限らない。例えば外国で車線が自国と反対になると、無意識下にある運転の戦略ミームが上手く機能しないため、とまどうことになる。

ある戦略ミームが必ずしも良い結果を招くとは限らず、そうしたミームが自分の心にあることに無自覚の場合もある。例えば、子どもの頃に身につけた人間関係に関する戦略ミームが大人になってからも影響力を持つ場合、本人にとってマイナスとなることもありうる。

なお、strategyの訳に日本語の「戦略」が対応しているが、ここでは軍事的な意味ではない。

利己的遺伝子の進化

遺伝子(gene)の本体であるDNA二重らせん構造となっている。DNAは染色体の構成要素である。

ミーム学を理解するために、利己的遺伝子の理論を理解する必要がある[1]。ミーム学は進化論に基づいているが、進化論といっても、学者によって、また学者以外の論者によって、様々な理論がある。ミーム学で必要なのは、利己的遺伝子の理論である。ミーム学には以下の二つのことを理解する必要があるからである。

  • 進化とはどのようなものか。
  • 脳はどのように進化してきたか。

突然変異

遺伝子はDNAの中にあり、DNAは細胞の中にある。ひも状のDNAに、一般に生命の設計図と言われる遺伝情報が記録されているが、その中の、自分の複製(自己複製)を作ろうとする一部一部を遺伝子と呼ぶ。DNAにはたくさんの遺伝子が含まれる。後に述べるように遺伝子は「利己的に」自己複製する。

DNAの遺伝情報はほとんどの場合、次世代へ正確に複製される。しかし、まれに複製の時に遺伝情報に誤りが生じる。その誤りが突然変異である。

突然変異といっても様々な突然変異があり、突然変異を定義することは単純ではないが、平易な表現では遺伝情報の中の小さな部分が変化することである。さらに突然変異による進化が、急激に生物を大きく変化させるのか、それとも少しずつ変化させていくのかといった議論は、意見が分かれている[9]

突然変異と自然選択の図解。上から下へ、突然変異で多様化が起き、自然選択され、再び多様化が起き、また自然選択され、生き残るのに有利な突然変異体が残り、増えていくことが示されている。

自然淘汰

遺伝情報の突然変異により、DNAは多様化する。そして生存競争の結果、どのDNAが自己の複製を次世代に伝えられるかということで、遺伝情報は選択されていく。この選択が自然淘汰である(自然淘汰の原語はnatural selection、日本の訳語では自然選択もある)。ただし、このプロセスは実際には複雑であり、研究、議論が続いている[9]

進化

生物は遺伝子の突然変異によって多様化し、多様化した生物の中から、環境に適応できる生物とそうでない生物が自然淘汰でふるいにかけられる。そうして残った子孫のDNAは、滅びたDNAよりも適応力の強い要素を持っている。このようにして、生物のDNAが環境に適応できる方向へ変化することが、進化である。

こうした進化が、DNAの情報だけでなく、心の世界の情報でも起きると考えるのがミーム学である。

利己的遺伝子

チャールズ・ダーウィン(1880年)

チャールズ・ダーウィンは、生物の進化をそれぞれの個体が子孫を残せるかどうかで論じたが、ダーウィンはDNAのことは知らなかった。実際には、複製されるのは、個体そのものではなくDNAである。DNAの中の遺伝子が、自分の複製を残すために進化しているというように、進化のプロセスを遺伝子の視点で考えるのが利己的遺伝子の理論である。ただし、実際に遺伝子が視点や意志を持っているという意味ではない。私達が遺伝子の視点に立って考えることで、進化が分かりやすくなるということである。

利己的遺伝子と呼ぶのは、進化が人間の幸福のためではなく、遺伝子がいかに自己複製を増やすか、をめぐって進行しているように見えるからである。例えば、私達が強い性的衝動を持つように進化してきたのは、私たちに性的衝動を持たせることが、ある遺伝子の自己複製に必要だからであり私達の生存や幸福のためではない、という視点である。一方、私たちの視点からは「私たちに性的衝動を持たせるために、その役割の遺伝子がある」と言えるが、この視点が間違いな訳ではない。両者の違いは視点の違いであり、「性的衝動は生存や幸福に役立たない」という意味ではない。しかし後に述べるように、遺伝子は必ずしも私たちの生存に役立たない。

遺伝子の視点に立てば、遺伝子が存在する理由は、自分の複製をDNAに残すためだけで、私たちの生存に貢献するためではない。遺伝子は自分を複製させるために、宿主である生物を利用している。DNAは細胞核の中で自分が複製されるのを待ち、宿主に食べ物を探させ、結婚相手を見つけさせ、敵と闘わせる。

利他的行動

利己的遺伝子の理論は、逆説的に動物の利他的行動について説明できる。働きバチは、母親の女王のために働くだけで、自分では子供を産まない。なぜなら、自分の生む子どものDNAよりも女王が生む子どものDNAの方が、自分のDNAに近いからである。

進化の方向

このように、利己的な遺伝子の視点から見れば、生物は遺伝子が自己複製するための乗り物である。利己的遺伝子にとって大事なのは自己複製であって、私達の肉体がよりよいものになることや、よりよい知性を身につけることではない。つまり遺伝子は、より多くの自己複製ができる方へ進化していくのである。

そのため進化とは、生存に適した肉体や知性を作るということは目的にしていない。したがって馬や犬などの動物がいつしか人間と同じ知性を持つようになるといった進化の方向性はない。例えば、昆虫は人間にあるような知性を持たないが、昆虫のDNAは人間より多く複製されている。

生物が生存しなければDNAの複製もできないため、DNAの進化は結果的に生存を助けることが多いが、寿命が短い生物が長い生物よりも繁殖力が強いケースもある。生存への利益と利己的遺伝子の複製への利益が天秤に掛けられた場合、複製への利益が常に優先される。

 


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