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シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ「Saint Saëns Danza Macabra Op. 40」

2016-12-29 13:32:42 | 真実の在り処

Saint Saëns Danza Macabra Op. 40

昨夜の[琉球大学管弦楽団」の指揮者の糸数武博先生がアンコールに応えて演奏したのはこの曲である。ヴェネズエラのユースオーケストラのダンス=DANZA、が良かった。総ての管弦楽が活きるように作曲された曲だね!
2010/02/19 にアップロード
 
指揮者の糸数さんの短い説明がよかった!ベネズエラのユースオーケストラのすばらしさがわかる演奏だと言えよう。YouTubeには他にもヴェネズエラのユースオーケストラの演奏が紹介されている。とてもパワフルで情熱に溢れている!ラテンアメリカには現在、米軍基地がないという。民衆革命の現在と未来に拍手を送りたい。
 

シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ

 
 

シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラOrquesta de la Juventud Venezolana Simón Bolívar)は、ベネズエラカラカスを本拠地とするユース・オーケストラである。

なお、名称の由来となる「シモン・ボリバル」とは、19世紀初頭にスペインの圧政から南米諸国を解放した革命思想家の名前で、ベネズエラ出身の英雄としての彼の業績を称えたものである。

概要[編集]

Simon Bolivar Youth Orchestra.jpg
 

エル・システマ」を実践するFESNOJIVが1999年に設立。エル・システマは、元政治家で経済学者のホセ・アントニオ・アブレウ等の提唱により1975年から始まった。

エル・システマ生徒の中には元ストリートチルドレン麻薬の密売や強盗を経験した者もいるが、こうした者を更生させたり、放課後に子どもたちを音楽に従事させることで犯罪から守る役割を果たしている。エル・システマのモットーは、"Tocar y Luchar"(奏でて戦う)である。

FESNOJIVは、現在ベネズエラに200もの青少年オーケストラを運営している。14歳未満の子どもたちからなる児童オーケストラ、14歳から25歳までの青少年からなるテレサ・カレーニョ・ユース・オーケストラ(2009年設立)などがある。さらにそこから選抜された25歳以上の青年からなるメンバーで組織したのがこのオーケストラである。

FESNOJIVの活動ぶりは早くから欧米に伝わり、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者や楽員の耳に入り、メンバーが無料指導したり、クラウディオ・アバドサイモン・ラトルといった歴代首席指揮者が実際に客演で指揮もするほどになっており、国外への演奏旅行もしばしば行われる。

オーケストラのメンバーと同様の教育を受けた新進気鋭の指揮者グスターボ・ドゥダメルが、1999年に17歳で音楽監督に就任。バンベルク交響楽団の国際指揮者コンクールに優勝もし、近年ヨーロッパの各種コンサート(2007年BBCプロムス、2008年ザルツブルク音楽祭など)に招かれ、大きな話題となった。

ドイツグラモフォン・レーベルと専属契約を結んだドゥダメルの指揮で、ベートーヴェン交響曲第5番7番マーラー交響曲第5番のレコーディングがある。

なお、ドゥダメルは2009年にロサンゼルス・フィルハーモニックに招聘され、フィンランド出身の先代エサ=ペッカ・サロネンの後を受け音楽監督として就任、その他の世界的なオーケストラへの客演も多くこなす。

『グスターボ・ドゥダメルについて』https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%80%E3%83%A1%E3%83%AB

ユース・オーケストラやサルサ・バンドでトロンボーン奏者として活動していた父親と声楽家の母親の元で幼い頃から音楽に親しみ、5歳頃からエル・システマによる音楽教育を受け始める。10歳でヴァイオリンを選択し、12歳のときにコンサートマスターを務めていた地元のユース弦楽合奏団で指揮にも取り組むようになり、Rodolfo Saglimbeniホセ・アントニオ・アブレウにも教えを受けながら1996年には同楽団の音楽監督になる。

1998年にアブレウの招きでカラカスに移り、1999年にはシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの音楽監督となり、同楽団や首席指揮者を務めているアメリカ州ユース管弦楽団などと世界各地で演奏することで注目を集める。

2002年ブエノスアイレスシャルル・デュトワのマスタークラスを受講し、2003年にはサイモン・ラトルの招きによりベルリンザルツブルクでアシスタントの仕事をする一方で、クラウディオ・アバドも彼をマーラー室内管弦楽団に招いている。2004年バンベルクで開かれた第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクールに優勝し、一躍脚光を浴びる存在となった[2]

2006年には、シモン・ボリバル・ユース・オーケストラを指揮し、ベートーヴェン交響曲第5番第7番マーラー第5交響曲ドイツ・グラモフォンに録音し、その覇気あふれる演奏で話題となった。同年にはベルリンダニエル・バレンボイムの元で学んだ後にミラノスカラ座で『ドン・ジョバンニ』の新演出を指揮している。ドイツ・グラモフォンと専属契約。

 
 
 

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