【ブロードウェイのロータスさんです。1954年】
何せ、今まで貯め込んでいた資料を掘り返して読んだり確認したりするのに時間がかかって、今日の発表の日の直前までPPTを作成している。何とか結論までこぎつけた。後は映画が流れている間に最終確認と結論のすり合わせをする必要がある。レジメなどプリントする時間がない。
観衆がどれほどの認識と関心を寄せているのかもよく見えない。50人が残るだろうか?リサさんは200人を念頭に入れているようだが、こんなシンポジウムでは100人もきてくれたら大成功で、最後まで残ってくださる方が30人でもいいのだと思う。
ポストコロニアリズムだの、オリエンタリズムなどはもう古めかしい概念で文化変容も文化接触もそうなりつつあるのかもしれない。越境する、変容するもの、あちら側の認識もまた変わりつつあって興味深い。世界は緊密になっている。情報リタラシーの問題も起こる。
しかしリアリティーとフィクションの溝は常に横たわっているのらしい。フィクションの良さはリアリティーを超えたエキスなりシンボリズムをしかしえぐり出すのである。だから私はちゃちな研究者のことばより創作する人間のことばに力を感じる。
わたしのことばもまたちゃちでありえる。ちゃちでないことば、何か新しい視点を一つでも出して誰かが「なるほど」、と新しい知見を得たと思えば今日の役割は終えることになるのだろうか?
しかしことばにしてまとめなければならないテーマだけ膨らんでいく。論理化し論稿として、あるいは書物としてまとめていかなければ山となった課題に襲われそうだ!
ほんとうなら谷茶の按司の台詞にあるように、「恋しての浮世」を、存分に楽しみたいのにーー夢や希望は遠すぎる!
天に吸い込まれる前にみなさん、恋を愛を語りあいたいね!殻/空/虚を超えたことばがあるのだろうか?
何せ、今まで貯め込んでいた資料を掘り返して読んだり確認したりするのに時間がかかって、今日の発表の日の直前までPPTを作成している。何とか結論までこぎつけた。後は映画が流れている間に最終確認と結論のすり合わせをする必要がある。レジメなどプリントする時間がない。
観衆がどれほどの認識と関心を寄せているのかもよく見えない。50人が残るだろうか?リサさんは200人を念頭に入れているようだが、こんなシンポジウムでは100人もきてくれたら大成功で、最後まで残ってくださる方が30人でもいいのだと思う。
ポストコロニアリズムだの、オリエンタリズムなどはもう古めかしい概念で文化変容も文化接触もそうなりつつあるのかもしれない。越境する、変容するもの、あちら側の認識もまた変わりつつあって興味深い。世界は緊密になっている。情報リタラシーの問題も起こる。
しかしリアリティーとフィクションの溝は常に横たわっているのらしい。フィクションの良さはリアリティーを超えたエキスなりシンボリズムをしかしえぐり出すのである。だから私はちゃちな研究者のことばより創作する人間のことばに力を感じる。
わたしのことばもまたちゃちでありえる。ちゃちでないことば、何か新しい視点を一つでも出して誰かが「なるほど」、と新しい知見を得たと思えば今日の役割は終えることになるのだろうか?
しかしことばにしてまとめなければならないテーマだけ膨らんでいく。論理化し論稿として、あるいは書物としてまとめていかなければ山となった課題に襲われそうだ!
ほんとうなら谷茶の按司の台詞にあるように、「恋しての浮世」を、存分に楽しみたいのにーー夢や希望は遠すぎる!
天に吸い込まれる前にみなさん、恋を愛を語りあいたいね!殻/空/虚を超えたことばがあるのだろうか?