志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

200人収容の講堂に220人つめかけ、シンポジウムに90人参加の『八月十五夜の茶屋』でした!

2011-09-11 11:42:03 | 「八月十五夜の茶屋」科研研究課題
一番若い名嘉山リサさんが研究代表者で何かと細かいところを骨折って、電話の応対から講堂ホールの手続きから何から何まで、頑張ってくれました。ありがとう!緻密に掘っている姿は頼もしい限りです。バーン・スナイダーと彼の小説について詳しく研究している渡久山幸功さんも緻密にスナイダーの人と作品(64歳の若さで亡くなったことも含め)、新たに彼が台湾を素材に書いた作品についての掘り起こしがなされ、着実にこのプロジェクトが深化し、広げられていることが分かって、頼もしい限りでした。お二人はしっかり論稿を書いて、それにそってPPTで紹介していました。

リサさんはアメリカ、日本、沖縄で上映された映画の受容を実際のデータ―の数字をあげ、その批評の中から評判がいい、悪いの分析をして見せました。研究のデータ―を正確に提示して分析、解釈する方法を厳密にやっていることになります。これほどかと思える精密さなどは社会化学も自然科学同様に求められている、のは確かです。こうした細やかな資料分析が研究の醍醐味でしょうか?ただ57年の沖縄で上映された時の批評はお二人だけで、評判が良いとなっていたことには少し違和感も起こりました。身近で上映会をもった時、批判と不満の方が大きかったからです。これはうちなーじゃない、の声が大きかったかと思います。なぜだろうか?その辺は、実際例えばこの映画を見た観衆がどう捉えたか、アンケートの中身をじっくり見たいですね。それは今日反省会をかねて3人で話し合います。

1013年3月のAmerican Popular Culture & Cultural Studies国際学会の場でパネルで発表するまでには英文論文をまとめる覚悟でやる必要がありそうです。

渡久山さんと名嘉山さんの若い研究者のエネルギーに感心しています。彼らがこの琉球弧の時空をまた飛び立って世界に発信していく機会が多くなればなるほど、この場と空間、ここで培われてきた歴史・文化・政治など諸々がまた開かれていくことになります。

さて演劇の方ですが、繰り返し上演されているこの作品のもつ価値を作品分析を丁寧にやり直して実際の舞台の分析とその背景を掘る必要があります。今回紹介したのはブロードウェイと歌舞伎座と沖縄の舞台のパンフレットとその批評でした。演じた主な役者について論じるにしてもそれは膨大になります。この間自分でテーマにしていた課題にそって見て行くことも可能です。どのように括りどのように提示するか問われているようです。

(詩人の佐々木薫さんは、とても率直な方ゆえに、やはり京マチ子は沖縄のジュリではない。違和感があるとおっしゃいました!)

全体として見えてきたことは、リアリティーとフィクションの関係でしょうか?バーン・スナイダー研究がこのように深められたのは世界で初めてだと、コメンテーターの山里勝己教授は総括しました。「八月十五夜の茶屋」そのものが、総合的に研究されたことも今までなかったわけですから、もちろん修士論文などでも取り上げられています。しかしよりトータルに見据える研究はアメリカで幾分やられている段階で、それには沖縄や日本そしてアジアの原風景(歴史・文化)にまた目を向け始めている傾向はあっても沖縄からの分析や展開はなかったと言えます。当事者性ですね。立ち位置と最近よく聞く言葉ですが、例えば、アメリカにしても欧米の視点から【太平洋国家としてのアメリカ】の位置づけなり捉え返しも始まっています。昨今のハワイと沖縄の近接な文化的関係性の広がりは学術的にもかなり深まっていますね。Living Spiritsなどの刊行が目指したもの、それは先駆的な世界への沖縄の魂の発信でもありえるかと思えます。そうした感性(知性)の潮流を見据えながら私たちもまた拓かれていく時空(磁場)に一歩踏み入れたら幸いですね。

(山里さんが最後にコメントを求めた著名な画家真喜志勉さんは、辺野古に茶屋を!とおっしゃいました!賛成です。基地ではなく茶屋を!真喜志さんはニューヨークに滞在された事もあり氏のセンスはコスモポリタンです。辺野古にヘリポート基地はいりませんよね!)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。