(琉球新報から転載です!)
江戸城、現在の皇室を爆撃しなかったでしょう。でも首里城は壊滅させられたのよね。日本軍司令部がそこにあったからよね、との意見です。なるほど、でした。
首里城焼失に関してものすごい勢いで寄付行為が始まっています。
原因究明はまだ道半ばで、真実は解明されない可能性が高いようです。ここからミステリー小説が書かれていくに違いないですね。人為的に火災を起こしえることも可能な密室、作為もありえそうです。政治の情緒的な動向、辺野古がかすんでいくような昨今を危惧する言及もあります。
首里城の歴史、ひいては小さな琉球王国の歴史が紐解かれ、深められ、その真実の姿を究明していく流れが登場し、高校で『琉球史』の科目を提供したらどうか、の提言も出て、もっとも大学入試に琉球史を、と作家の大城立裕さんは1970年代には提言していたような~?。美化だけではなく、惨めさを含め、歴史の負の部分も切開し、理解していくことは必要ですね。冊封使が残した史書を読むと、琉球王府の貧困が目に入ってきます。涙ぐましい小国の舵取りが見えてきます。民人はもっと苦しんでいたことでしょう。人頭税の過酷さもあります。一方で遊里は華やかだったでしょうか?
近代の歴史も日本への同化の過程でさまざまな事象が起こっています。貧しいがゆえに棄民のような移民も盛んになっていきます。極めつけは戦場の悲劇で十数万人の住民が犠牲になっています。
32軍司令部、その壕と首里城の動向、残った壕について学習する環境ができるのはいいですね。