その竹村和子訳の本を注文する前に蔵書検索をしたら「てぃるる」の図書館に見つけた。初めててぃるるの図書館で本など7冊借りてきた。以前から女性関係図書はかなり収録している、というイメージを持っていたが、カードを創って本を借りるのも初めてだった。しばらく書庫を見ると女のテーマがいっぱいで立ち読みしているうちに2時間はあっという間に過ぎていた。
ヴェトナム系アメリカ人のトリン T ミンハの書は竹村和子の解説がいい。映像作家で文化人類学、詩、物語、論稿を書くミンハの感性は新しい声・イメージの到来として受け止められのだろう。ヴェトナムの地・血・関係性から編まれたことばと映像があり、そこから見える世界のハイブリディティ、境界の無化、内面化された境界?無、不在、周縁、肉体、瞬間に声を与えるーー。
いつでもサバルタンでサバルタンではないしかし無数の声のない声がこなたにかなたにあり、見えない見える暴力の網目に生き生かされてもいる。詩を物語を編むことをやはり志向する。まとめる方向性をただ求めるだけだという思うは強い。
緩やかな散文詩のような文面をたどるには気になる所を読み返したいと思う。
借りたのは「フェミニズムと文学批評」「セクシュアリティ」「文化と女性」「トニ・モリソン」など、お能の女性の表象につても組踊との比較の上で興味深い。
この「てぃるるの図書館」にはとにかく女性関係書物や大学の紀要などもおいているのらしい。膨大な「英語論文や著書」まで収録できたらいいね。じっくり読みたいが今はじっくりというわけにはいかない。
来年以降頻繁にお邪魔できたらと思う。テーマは女で女の表象、表象する女か?女とは何だろう?男とは?人間とは何?になるね。女の声はしかしまだ小さいのだと実感する。ことばを際立たせている男たちの世界が濃厚で、一体彼らは何?と感じさせるところは結構ある。おれたちは、で切り離そうとする男たちのいじましさもある。それで何?ことばが決してフェアではありえない。
君と君の妻との対話は君がドミナントで上から目線で語るでしょう?妻は従属物で対等に語りえる関係であってそうではなく、そこに対等なことばもなく、異物?!君は彼女とすべてのことばを共有するわけではない。彼女は他者でしかない。君は孤独に死ぬ。垣根を超えられないままに夢を見る。それで物語は終わる。心を語りえない関係の寂しさが茫茫と広がるのは嫌だけれど、それはまた偽善を生きた人の宿命かな?貴女と貴女の夫の対話には砂漠の砂が吹き飛んでいるのらしい、それでも時は流れる。砂と時に流れ流されて埋もれる。
彼女は彼と対等にことばを語れない。彼は彼女にとって他者で曖昧でいてもいなくてもいい存在、彼女のことばを威圧する存在。彼女は彼女の精神の自由な空間を泳ぎたい。対等なことばがありえるのだろうか?愛とは何?制度の形の安住があり、欺瞞と隠蔽と自己保身の巣?ことばがどれだけ自由に語り合えるのかは尽きせぬテーマで、語りえる人に惹かれるのも人間の情である。
すでにしてリベンジされている!これを解きほぐす術はどこにあるのだろうか?
自らに嘘をつきたくないから彼女は完璧な他者と他者を演じる。嘘のない関係を求めてやまない。そしてそれは意外と身近にあるのかもしれない。
明日?
ところで性的虐待と性暴力の沖縄バージョン『心の侵入』を読むと、沖縄社会のシステムとしての暗部もえぐり出されている。詳しくはないが、門中制度や離婚再婚が多い実態、男性優位社会の風俗習慣の弊害も見え隠れする。戦前の沖縄社会の差別構造に目がいく。家父長制度があり、やはり男たちが家譜でも名前があるのに対し、女の系列は無視されたり、と男尊女卑は明らかに見えてくる。その制度を超えるためにキリスト教信仰に走る傾向も理解できる。異なる信仰や社会システムに身を思想を鞍替えすることによる救済も理解できる。今後もう少し深めたい。
ヴェトナム系アメリカ人のトリン T ミンハの書は竹村和子の解説がいい。映像作家で文化人類学、詩、物語、論稿を書くミンハの感性は新しい声・イメージの到来として受け止められのだろう。ヴェトナムの地・血・関係性から編まれたことばと映像があり、そこから見える世界のハイブリディティ、境界の無化、内面化された境界?無、不在、周縁、肉体、瞬間に声を与えるーー。
いつでもサバルタンでサバルタンではないしかし無数の声のない声がこなたにかなたにあり、見えない見える暴力の網目に生き生かされてもいる。詩を物語を編むことをやはり志向する。まとめる方向性をただ求めるだけだという思うは強い。
緩やかな散文詩のような文面をたどるには気になる所を読み返したいと思う。
借りたのは「フェミニズムと文学批評」「セクシュアリティ」「文化と女性」「トニ・モリソン」など、お能の女性の表象につても組踊との比較の上で興味深い。
この「てぃるるの図書館」にはとにかく女性関係書物や大学の紀要などもおいているのらしい。膨大な「英語論文や著書」まで収録できたらいいね。じっくり読みたいが今はじっくりというわけにはいかない。
来年以降頻繁にお邪魔できたらと思う。テーマは女で女の表象、表象する女か?女とは何だろう?男とは?人間とは何?になるね。女の声はしかしまだ小さいのだと実感する。ことばを際立たせている男たちの世界が濃厚で、一体彼らは何?と感じさせるところは結構ある。おれたちは、で切り離そうとする男たちのいじましさもある。それで何?ことばが決してフェアではありえない。
君と君の妻との対話は君がドミナントで上から目線で語るでしょう?妻は従属物で対等に語りえる関係であってそうではなく、そこに対等なことばもなく、異物?!君は彼女とすべてのことばを共有するわけではない。彼女は他者でしかない。君は孤独に死ぬ。垣根を超えられないままに夢を見る。それで物語は終わる。心を語りえない関係の寂しさが茫茫と広がるのは嫌だけれど、それはまた偽善を生きた人の宿命かな?貴女と貴女の夫の対話には砂漠の砂が吹き飛んでいるのらしい、それでも時は流れる。砂と時に流れ流されて埋もれる。
彼女は彼と対等にことばを語れない。彼は彼女にとって他者で曖昧でいてもいなくてもいい存在、彼女のことばを威圧する存在。彼女は彼女の精神の自由な空間を泳ぎたい。対等なことばがありえるのだろうか?愛とは何?制度の形の安住があり、欺瞞と隠蔽と自己保身の巣?ことばがどれだけ自由に語り合えるのかは尽きせぬテーマで、語りえる人に惹かれるのも人間の情である。
すでにしてリベンジされている!これを解きほぐす術はどこにあるのだろうか?
自らに嘘をつきたくないから彼女は完璧な他者と他者を演じる。嘘のない関係を求めてやまない。そしてそれは意外と身近にあるのかもしれない。
明日?
ところで性的虐待と性暴力の沖縄バージョン『心の侵入』を読むと、沖縄社会のシステムとしての暗部もえぐり出されている。詳しくはないが、門中制度や離婚再婚が多い実態、男性優位社会の風俗習慣の弊害も見え隠れする。戦前の沖縄社会の差別構造に目がいく。家父長制度があり、やはり男たちが家譜でも名前があるのに対し、女の系列は無視されたり、と男尊女卑は明らかに見えてくる。その制度を超えるためにキリスト教信仰に走る傾向も理解できる。異なる信仰や社会システムに身を思想を鞍替えすることによる救済も理解できる。今後もう少し深めたい。