
(5月6日の満月、あなたも見ていたでしょうか?)
西洋比較演劇研究会は演劇理論において日本の中でもっとも斬新だと言えよう。ご紹介!これらの研究は意外と身近な演劇研究にまた敷衍できるということは演劇そのもののもつ本質的な要因ともからむと言えようか。例えば大江健三郎の演劇装置は沖縄の小説家の中の記憶とからむ装置構図が取り出される、また小説から演劇へは「大城立裕」氏の創作過程を彷彿させる、氏は小説から沖縄芝居、そして詩劇である。詩劇とは新作の組踊だが、話法の変遷にしても小説の物語形態から戯曲へ移行する時に残されたものと話言葉に移行したもの、それらの手法、表現の違い、差異など、十分にこちらの創作課程・変遷の研究に生かせるのである。東京はなぜか最近、怖い、遠い大都市になってしまっているが、参加が可能なら拝聴したい。翻案に関しては、結構いい論文・研究書が出版されている。物語の原型が戯曲になり、ゲームになり、オペラになりなどの変容が結構ある。ミームである。物語のアーキタイプがどう変容し受容されていくか、興味深い。大城作品も翻案の課程をへた新たな創作としてみたら興味深いと考えている。実際論稿を発表したのだが、さらば福州琉球館など、大城氏は小説を書き、それを芝居にし、さらに新作組踊の詩劇へとスタイルを変えた創作をしている。それを吟味する上で興味深い発表に思える。行けるかな?
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西洋比較演劇研究会2012年度 5月例会のご案内
今年は論文合評会は一休み、気鋭の発表二つがなされます。
いずれも有名な「素材」であり、参加者もできれば準備の上、
噛み合った質疑応答が活発になされることが期待されます
日時 2012年5月26日(土) 14:00~18:00
場所 成城大学7号館 733教室(予定)
研究発表
1 村井華代
『水死』における大江健三郎の演劇装置
要旨
大江健三郎の小説は、しばしば歴史、あるいは個人史の再現のために演劇を「装置」
として利用してきた。それは例えば、演劇として再現された過去の出来事を見た主人公
が卒倒する(『万延元年のフットボール』他)、或いは村芝居が国家に抵抗する唯一の
方策として上演される(『いかに木を殺すか』他)など、様々な形でおこなわれていた
が、2009年の『水死』ではさらに積極的な方法が採用されている。主筋は大江本人を思
わせる作家「長江古義人」の父の死の経緯を探るというものだが、全体の大半はそこに
関係づけられる二つの演劇活動――長江の父の死にまつわる物語を、長江の作品と個人
史から一つの劇としてまとめあげようとする劇団の企画と、村の歴史劇を現代的に再構
築/解体して上演しようとする一女優の挑戦――に向けたテクスト作りと上演方法の描
写に占められている。が、結局どちらの企画も上演には至らず頓挫する。
これを演劇学の立場から取り上げる理由は、『水死』が、演劇をモデルとして世界構築
をおこなうテアトルム・ムンディの現代日本における一つの展開であること、そこで大
江が再構築した演劇モデルは、国家的記憶と個人的記憶、その双方との関連において確
定されることなく揺らぎ続けるという、演劇に対する端倪すべからざる批評に基づくこ
と、そして、演劇と、近年盛んな記憶研究がいかに関係づけられるかという見地から重
要な問題を提起しているということにある。記憶そのものの劇場的性質が、記憶の物語
化・舞台化という演劇実践を通じて表出するという過程の描出は、現実におこなわれる
記憶/歴史の演劇化と大いに関係するであろう。
大江は作中、「演劇化」というタームを、状況に対する視点を複数化し、対話を導く場
を展開する手続きという意味で使用している。このことは、統一された物語をなさない
個人の記憶や国家の歴史が、舞台化を機に肉体化/可視化され、確定されてゆくプロセ
スとどう関係づけられるだろうか。20世紀のトラウマと向き合い続ける日本の作家が仕
掛けた「装置」から、演劇と記憶/歴史の関係を考えたい。
発表者プロフィール:愛媛県出身。明治大学文学研究科演劇学博士後期課程満期退学。
早稲田大学演劇博物館21世紀COE演劇研究センター助手(西洋演劇)を経て、現在共立
女子大学文芸学部准教授(劇芸術コース)。時代・国別を特化せず西洋演劇理論全般を
扱う。最近の関心領域は反演劇主義思想とユダヤ‐キリスト教思想の関係等。
2 間瀬幸江
翻案戯曲『ジークフリート』と1928年――挑戦と逆行と
要旨
1928年は、ベケットがジョイスに出会い、ブルトンが『ナジャ』を発表、ベルリンで
は『三文オペラ』が初演された。そして、ジャン・ジロドゥが『ジークフリート』の華
々しい成功とともに劇界にデビューした年でもある。これは1922年に発表した長編小説
『ジークフリートとリムーザン人』を作家自ら翻案したものである。
演劇が夢のジャンルだった19世紀後半を経て20世紀に入ると、小説は独自の地位を確
立する。プルーストのように、演劇に親しみつつも、戯曲というジャンルに求められる
語りの形式の束縛を好まず自らは劇作への転進を試みない小説家も増えた。劇界では「
カルテル」の4人の演出家たちが新たな書き手を積極的に探し求めていた一方、依然商
業演劇が人気を博していた。ジロドゥは、劇界の求めにこたえて、あえて戯曲というジ
ャンルの束縛を選びとった小説家であるといえる。
小説の語りは、演劇の語りにどのように移し得るか、あるいは移し得ないかについて
は、拙著ですでに考察を試みているが、今回の発表では、この小説の翻案の問題を、19
28年の演劇史の文脈において捉えなおしてみたい。1928年に、戯曲というジャンルの束
縛をあえて選びとるということは、いったいどういうことなのか。翻案にあたり、作家
がすでに持っていた何が犠牲にされ、いまだ持っていなかった何がどこから持ち込まれ
接木されたのか。ジロドゥによる翻案の実例の分析と、時代背景や当時の劇界等の人的
交流のありようを連関させ、それを切り口として、1928年のフランスを立ち上がらせた
い。
発表者プロフィール:2010年より早稲田大学文學学術院助教。研究分野はフランス近現
代演劇ならびにフランス語教授法。両大戦間期のフランス出版界ならびに劇界における
「絵描き」の仕事をめぐる人的交流を調査・研究中。著書に、『小説から演劇へ ジャ
ン・ジロドゥ 話法の変遷』(早稲田大学出版部、2010年)、「寺山修司におけるジャ
ン・ジロドゥからの影響――ラジオドラマ『大礼服』論」『演劇学論集』54号(日本演
劇学会、2012年春)などがある。
西洋比較演劇研究会は演劇理論において日本の中でもっとも斬新だと言えよう。ご紹介!これらの研究は意外と身近な演劇研究にまた敷衍できるということは演劇そのもののもつ本質的な要因ともからむと言えようか。例えば大江健三郎の演劇装置は沖縄の小説家の中の記憶とからむ装置構図が取り出される、また小説から演劇へは「大城立裕」氏の創作過程を彷彿させる、氏は小説から沖縄芝居、そして詩劇である。詩劇とは新作の組踊だが、話法の変遷にしても小説の物語形態から戯曲へ移行する時に残されたものと話言葉に移行したもの、それらの手法、表現の違い、差異など、十分にこちらの創作課程・変遷の研究に生かせるのである。東京はなぜか最近、怖い、遠い大都市になってしまっているが、参加が可能なら拝聴したい。翻案に関しては、結構いい論文・研究書が出版されている。物語の原型が戯曲になり、ゲームになり、オペラになりなどの変容が結構ある。ミームである。物語のアーキタイプがどう変容し受容されていくか、興味深い。大城作品も翻案の課程をへた新たな創作としてみたら興味深いと考えている。実際論稿を発表したのだが、さらば福州琉球館など、大城氏は小説を書き、それを芝居にし、さらに新作組踊の詩劇へとスタイルを変えた創作をしている。それを吟味する上で興味深い発表に思える。行けるかな?
************************************
西洋比較演劇研究会2012年度 5月例会のご案内
今年は論文合評会は一休み、気鋭の発表二つがなされます。
いずれも有名な「素材」であり、参加者もできれば準備の上、
噛み合った質疑応答が活発になされることが期待されます
日時 2012年5月26日(土) 14:00~18:00
場所 成城大学7号館 733教室(予定)
研究発表
1 村井華代
『水死』における大江健三郎の演劇装置
要旨
大江健三郎の小説は、しばしば歴史、あるいは個人史の再現のために演劇を「装置」
として利用してきた。それは例えば、演劇として再現された過去の出来事を見た主人公
が卒倒する(『万延元年のフットボール』他)、或いは村芝居が国家に抵抗する唯一の
方策として上演される(『いかに木を殺すか』他)など、様々な形でおこなわれていた
が、2009年の『水死』ではさらに積極的な方法が採用されている。主筋は大江本人を思
わせる作家「長江古義人」の父の死の経緯を探るというものだが、全体の大半はそこに
関係づけられる二つの演劇活動――長江の父の死にまつわる物語を、長江の作品と個人
史から一つの劇としてまとめあげようとする劇団の企画と、村の歴史劇を現代的に再構
築/解体して上演しようとする一女優の挑戦――に向けたテクスト作りと上演方法の描
写に占められている。が、結局どちらの企画も上演には至らず頓挫する。
これを演劇学の立場から取り上げる理由は、『水死』が、演劇をモデルとして世界構築
をおこなうテアトルム・ムンディの現代日本における一つの展開であること、そこで大
江が再構築した演劇モデルは、国家的記憶と個人的記憶、その双方との関連において確
定されることなく揺らぎ続けるという、演劇に対する端倪すべからざる批評に基づくこ
と、そして、演劇と、近年盛んな記憶研究がいかに関係づけられるかという見地から重
要な問題を提起しているということにある。記憶そのものの劇場的性質が、記憶の物語
化・舞台化という演劇実践を通じて表出するという過程の描出は、現実におこなわれる
記憶/歴史の演劇化と大いに関係するであろう。
大江は作中、「演劇化」というタームを、状況に対する視点を複数化し、対話を導く場
を展開する手続きという意味で使用している。このことは、統一された物語をなさない
個人の記憶や国家の歴史が、舞台化を機に肉体化/可視化され、確定されてゆくプロセ
スとどう関係づけられるだろうか。20世紀のトラウマと向き合い続ける日本の作家が仕
掛けた「装置」から、演劇と記憶/歴史の関係を考えたい。
発表者プロフィール:愛媛県出身。明治大学文学研究科演劇学博士後期課程満期退学。
早稲田大学演劇博物館21世紀COE演劇研究センター助手(西洋演劇)を経て、現在共立
女子大学文芸学部准教授(劇芸術コース)。時代・国別を特化せず西洋演劇理論全般を
扱う。最近の関心領域は反演劇主義思想とユダヤ‐キリスト教思想の関係等。
2 間瀬幸江
翻案戯曲『ジークフリート』と1928年――挑戦と逆行と
要旨
1928年は、ベケットがジョイスに出会い、ブルトンが『ナジャ』を発表、ベルリンで
は『三文オペラ』が初演された。そして、ジャン・ジロドゥが『ジークフリート』の華
々しい成功とともに劇界にデビューした年でもある。これは1922年に発表した長編小説
『ジークフリートとリムーザン人』を作家自ら翻案したものである。
演劇が夢のジャンルだった19世紀後半を経て20世紀に入ると、小説は独自の地位を確
立する。プルーストのように、演劇に親しみつつも、戯曲というジャンルに求められる
語りの形式の束縛を好まず自らは劇作への転進を試みない小説家も増えた。劇界では「
カルテル」の4人の演出家たちが新たな書き手を積極的に探し求めていた一方、依然商
業演劇が人気を博していた。ジロドゥは、劇界の求めにこたえて、あえて戯曲というジ
ャンルの束縛を選びとった小説家であるといえる。
小説の語りは、演劇の語りにどのように移し得るか、あるいは移し得ないかについて
は、拙著ですでに考察を試みているが、今回の発表では、この小説の翻案の問題を、19
28年の演劇史の文脈において捉えなおしてみたい。1928年に、戯曲というジャンルの束
縛をあえて選びとるということは、いったいどういうことなのか。翻案にあたり、作家
がすでに持っていた何が犠牲にされ、いまだ持っていなかった何がどこから持ち込まれ
接木されたのか。ジロドゥによる翻案の実例の分析と、時代背景や当時の劇界等の人的
交流のありようを連関させ、それを切り口として、1928年のフランスを立ち上がらせた
い。
発表者プロフィール:2010年より早稲田大学文學学術院助教。研究分野はフランス近現
代演劇ならびにフランス語教授法。両大戦間期のフランス出版界ならびに劇界における
「絵描き」の仕事をめぐる人的交流を調査・研究中。著書に、『小説から演劇へ ジャ
ン・ジロドゥ 話法の変遷』(早稲田大学出版部、2010年)、「寺山修司におけるジャ
ン・ジロドゥからの影響――ラジオドラマ『大礼服』論」『演劇学論集』54号(日本演
劇学会、2012年春)などがある。