(沖縄タイムス7月7日より)
戦争はまだ終わっていないのだと、具志堅さんのこの写真は訴えている!沖縄戦の流れを見ると、戦争はいきなりやってはこないことがわかる。カタストロフィは徐々に環境整備がなされていく。阿鼻叫喚へとー。空気を祓う、流れを変える行為が要求されている。
遺骨収集を続ける具志堅さんやボランティアの皆さん方は深い使命感で緻密な作業を黙々とやってこられた。そして今日もまた。親元に戻れない遺骨が一塊になって埋葬された。平和の礎には身元の分かった犠牲者の名前が今も刻まれている。突然断ち切られた命、魂の叫び、その木魂は響き続けているー。日々の生存に感謝し、今日できることに最善を尽くしたいという思いは、思いとしてあり続ける。
沖縄戦の流れを見ると、戦場になる沖縄から多くの疎開船が九州に向かったことがわかる。魚雷が浮いている海だった。無難に目的地にたどり着くことさえたいへんな戦争状況にあったのだ。なぜ、1941年12月8日、真珠湾攻撃などしたのかー。当時の日本の政府首脳・軍部首脳の罪は重い。戦争に邁進した日本の無知蒙昧さは昨今の反知性主義の5文字に類似したのだろうか?世界の状況認識が甘かったということだったのか?理知的ではない国のかじ取りの末路に累々と屍が重なっていった。嘘ではない実際にあった歴史。そして現在、生き生かされているー。
しかし頭上に戦闘機が飛び、核付潜水艦も寄港する沖縄、核もミサイルも基地の中に保蔵されている。生きることは絶えず不安のコンテキストの上にあり続ける。死すべき人間だからではなく、自らが生み出した、あるいは強制的に余儀なくされた場を故郷としているゆえである。そこから移動する人々も多かった。見えない天空の檻の中、その中で明日のより良き地球を、足元を念じている。
不安≪何らかの脅威≫が絶えず念頭から去らない人の世の営みとは何だろう。脳は多様に意識を振り分ける。快と不快、陰と陽、希望と絶望、信頼と失望、ユートピアとディストピア、あるがままに、なすがままに時に全てをゆだねる、だけではない抵抗する意識は勇気の源、限りなく続いていくエネルギー。具志堅さんの姿には死者たちを悼む深い思いが滲んでいる。