(香道は嗅ぐではなく、香を聞くという!知らなかった!)
先日平敷屋でとてもいいお話しを伺った。香木や香袋が実際使用されていた琉球王府時代の話が飛び出してきた。素敵な里之子がやはり素敵な香を漂わせていたというお話しに、「はっと」したのだった。なるほど、かの貴公子の美はまた引き付ける香木や香袋によって引き立てられていたのだ、ということが、昔も今も変わらない人間の五感のもつ不思議であり、それが生きる「ときめき」でもあるのだ、と、いう単純なことに思い至った。お話しの中身の詳細はここで開示できないが、王妃を魅了した里之子の感性のありか、ことばをもたなかったという王府時代の女性たちだが〈←書き言葉を持たなかったが口語はもっていた)、それが口承の歌謡や琉歌ではどうだったのか、一説によると、島々のノロは長い祈りの経典をその身体で(脳で)すべて記憶してきたのだという。繰り返される口承の中で培われてきたことばの重さがある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E9%81%93 ←香道について
http://www.tenkundo.co.jp/fragrance/history.html ←香道の歴史
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より転載です!≪問題があれば削除します!≫
沖縄はアジア交易の拠点だった
ソウル、上海、台北、香港、マニラ……。沖縄県の県庁所在地・那覇市を中心に同心円を描くと、約1500キロ離れた東京とほぼ同じ円内に東アジアの主要都市がすっぽりと入る。
ふつうの日本地図では、沖縄は「欄外」的なところに置かれることが多い。それと比べ、同心円の中心に沖縄を描いた構図を誇らしく感じる沖縄県民も少なくない。琉球王国の大交易時代を重ね、海外へ雄飛した先人の姿を思い起こすからだ。
琉球の大交易時代は一般に、中国の明(1368-1644年)に進貢(貢物を送ること)するようになった14世紀後半から16世紀までを指す。中国や東南アジア諸国、日本、朝鮮との間を船で往来し、中継貿易の拠点として約200年間、繁栄した。
東南アジアの交易先は現在のベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアに及ぶ。中国の陶磁器や日本の刀や銅、琉球の硫黄や馬、螺殻(らかく[夜光貝])を持ち込み、染料の蘇木や香辛料の胡椒、香木などの南海貿易品を輸入した。
琉球王国の交易船は、中国との関係を後ろ盾に、地の利を生かして季節風に乗り、大海を往来した。琉球王が首里城内に掛けた梵鐘(ぼんしょう)に「万国之津梁(しんりょう[架け橋])」と繁栄をうたい上げたのもこの頃だ。
19世紀に入ると、沖縄の地政学的な位置は、欧米列強の東アジア進出の足がかりとしても着目された。米国のペリー提督の艦隊も、沖縄を補給基地に位置付けていた。第2次世界大戦前後から、沖縄はもっぱら軍事的に注目されるようになる。今も日米政府間では、沖縄を、朝鮮半島の緊張や台湾海峡の有事に即応するための重要な拠点と位置づける考え方が主流だ。
(上間正敦)
http://www.asiawave.co.jp/bungeishichoo/bsessay/miwamineko.htm ←「花魁の香木」いいエッセイですね!