志情(しなさき)の海へ

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日米同盟の深化に意欲を示したキャロライン・ケネディー大使 in Okinawa.

2015-10-16 23:32:21 | 沖縄の過去・現在・未来

コンソーシアム沖縄シンポです。
無利子の奨学金2280万円が素敵な手土産かそれとも雀の涙か、思いやり予算の額の大きさに比べてどうなのだろう?アメリカ大使の顔が日米の架け橋になっているのは確かなのだろうが、彼女自身が語った「基地関連記事の多さ」を、沖縄の歴史や痛みから共感し、その異常さを止揚できない『立場』は、アメリカ国の利害の代表者のメッセージそのものだと記事から感じられるのだが、それ以上でも以下でもない彼女のスピーチだったのだろうか?授業中もヘリや戦闘機がうるさい日常の激しさの中にいるゆえに、空々しい『大使』である。

I want to change!とオバマの大統領就任の時叫んだ希望は吹っ飛んで久しい。アメリカは内なる漂流社会に突入しているようである、ホワハイトピアのように、一方でNSAによるインターネット監視社会の到来である。←それも克服されているのだろか?

一方でコンソーシアム沖縄のコスモポリンタン的思考の大胆さがそこから見える。その組織は、沖縄内の高等教育機関大学首脳で成り立ち、沖縄科学技術大学院大学(OIST)もそのメンバーである。極めてローカルな大学に世界の先端的科学技術研究の府が加わっている。理事にはノーベル賞受賞者も顔を連ねている。この日本の0.6%の島々に74%のアメリカ軍関連基地が所在する沖縄であり、そこに自衛隊基地や自衛隊員も加えると沖縄が日米の軍事要塞(キーストーン)であることは世間の周知事項でさえある。

その特異な島の大学首脳が考えるグローバリズムの見える姿の代表がキャロライン・ケネディーである。彼女がシンボライズするアメリカ、その表象は様々な彩を与えている。表向き、現代世界に君臨するアメリカ軍事帝国の顔がキャロラインでもある。凶弾で倒れたケネディー大統領の娘という悲劇を背中に背負った女性=アメリカの権力構図の闇をまた宿した女性を通して、沖縄はそこから何を汲み取ろうとしていたのだろうか?ネオリベラリズムならぬポスト植民地主義、グローバル無国籍企業体、軍産複合体などもキャロラインの顔は象徴するアメリカである。そのあらゆる表象のアメリカを呑みこんでしまおうとする沖縄の野心的な意図がうかがえる。「敵の言葉で敵を止揚する」とアメリカインディアンは言ったが、生身のアメリカを「聴く、観る」行為=場や空間の共有、ことばや感性を通して、その巨大なアメリカを回収し噛み砕いていく行為≪表象行為≫にもなっている。

そこでアメリカの歴史とその威力≪達成されたシステムを含め≫を意識野においてかつ、巨体の衰微もまたキャロラインの行為から嗅ぎ取る場でもあったのだ。その後のシンポジウムはグローバリズムとは何かである。すでにポストグローバリズムが歌われている現在、ローカルなナショナリズムの沸騰を超えたコスモポリタン的思考も並列されつつある。意外とこの琉球弧の島々の知と痛みと感性が世界を包摂する何かをもっているのかもしれない。

それは中央日本の視野からは見えない哲理なのかもしれない。深い渦や峡間の中から鋭い普遍的な知・感性・理が登場する可能性は拓かれている。琉球諸島(琉球弧)の政治的・軍事的桎梏(鎖)が解かれる未来から見えてくるものを見たい。キャロライン・ケネディーを沖縄は越えてしまっている。

「いちゃりばちょうでー」で、死体の山ができたの比喩もあるが、「いちゃりばちょうでー」を豊饒な世界に転化、発展させる沖縄の未来にエールを送りたい。恩師、瀬名派榮喜先生のグローバルな知性が牽引するコンソーシアム沖縄は、問題解決の手段としてのコミュニケーションの鍵である英語を流暢に語る師のコスモポリタンゆえの大胆な発想が大きな力を持っているように見える。ここは世界であり世界はここにある。かなたとこなたは深く繋がっている。瀬名派先生は一方で『泊阿嘉』のつらねをすべてそらんじるウチナーンチュである。



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