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「執心鐘入」と「さかさま執心鐘入」:ユネスコ無形文化遺産代表一覧表記載記念事業公演!

2011-08-22 12:13:05 | Theatre Study(演劇批評)
                

(沖縄県教育委員会が作成したパンフレット)

【2011年8月20日、国立劇場おきなわ大ホールにて。午後2時から4時半】(満席の劇場で入れない観客はロビーで映像を見た)

およそ45分の「執心鐘入」は従来の所作の変容に、変質する芸について考えさせられた。舞台の約束事なども若干違った手が見られた。美男の中城若松の佐辺良和さんがそのまま「さかさま執心鐘入」でもきりりとした演技・踊り・唱えを披露してくれた。もう少し詳しく見たいが、深夜に書き始めてうつらうつら、意識がまとまらない。

よく見ているつもりの『執心鐘入』だがどの舞台も一応ではないということが舞台芸術の面白さである。生身の人間が在る時間にオーケストラのように共演する。地謡の出来栄え、立ち方の身体や心理・精神のバランス・緊張関係など、舞台によって異なる面白さがある。今回宿の女の新垣悟さんは安定した年上の女、溜息をついて恋に狂にのぼりつめて行く女心をその細やかな所作に見せたと思う。寝ている若松を前に悩む女が落胆し希望を持つ様が顔を伏せ、身体のわずかな動きから感じられた。女の思いきった語りの場面、着物の袖を微妙に動かして暗示す所作など、細やかさが感じられた。

所作や演出の違いは例えば鐘の中に若松を入れる場面に鐘が少しつりあがったりした。以前もそのような演出があったかどうか?今回若松の佐辺さんの唱えの美しさなど、また座主の宇座さんの少し狂言坊主のような雰囲気、子僧たちのいつもの動きもあった。そこに変容による面白みのなさは実は地揺からやってきた。神谷大輔、玉城和樹、大城貴幸さんなど若手にしては聞きごたえがあったと感じたが、太鼓の久志大樹の太鼓のインパクトが大きすぎて、最後の経文など、後部席に坐している者には全く聞こえなかった。また異常に太鼓の掛け声が強くで興ざめした。確かに見せ場なり舞台の転換で太鼓のアシストは重要だが、今回その度合いがまったく破調だったのである。地謡の聞かせ所がある。しかし舞台の物語の流れを削ぐような地謡の介入は耳障りそのもので辛かった。

それから琉球王府時代への「組踊回帰」も興味深いが、王府時代に組踊を享受した方々、冊封使や特権階級の為の組踊と王府滅亡後、近代の波を受けて上演されてきた組踊の差異がある。多くの大衆に好まれ彼らの意向も受けた芸を尊重するのか、それとも特権階級に見せた歓待芸能(士族層・役人芸)を良しとするのか、昨今は戌の御冠船などの復活公演に興趣があったりしているが、しかし矢野輝雄の【組踊を聴く】の『執心鐘入の型の移動』(p246~252)によると、寅の冠船から登場したとする小僧3が一人舞台に残る滑稽な場面が削除されていた!最近はこの演出なのかどうかよくわからないが、戌の御冠船の様式を追求しているのらしいことがわかるが、これも興ざめだった。小僧のおびえたような驚く所作に観客は胸をなでおろすのである。

中途半端な演出の在り様が諸に感じられた。王府時代の組踊の所作を目指すなら金武良章氏が演じていた組踊の型が近い。しかし組踊の初期の保持者は皆沖縄芝居の手をやってこられた方が多かった。近代の一般大衆の目線・感性に晒されてきた組踊芸を踏襲するならばまた異なったコンセプトがそこにありえるのだろう。そこも中途半端ですよね。真喜志康忠氏は芝居役者としての矜持をお持ちだったので、金武先生の手を批判されていた。それも正直な対応だと感じていた。

現在伝統古典組踊の演出の手の曖昧さはカオス時代なのだろうか。三間四方さえ徹底できない彼らは、四間四方の多目的ホールで屋根付き疑似御冠船舞台も造ってしまった。風が流れない空間である。そこで上演される朝薫5番にもまた演出・演技の変容がありえるのだろう。地揺にしても最後まで歌わない音曲もありそうだ。大衆迎合も芸の歴史にはざらにあることである。何しろ観客あっての舞台芸であり木戸も潤ったのだろう。

舞台は面白くて感極まる方がいいに違いない。小僧の最後の場面を戻してほしい!彼らの間の者の素顔はその辺にあると思う。王府時代の様式と型、感性をどこまでたどるつもりなのだろうか?ならば仮設舞台にして屋外で三間四方で舞台を三方角からしっかり見れる舞台空間を具現してほしいものだ!

そして観客は限定50人ほどにして、特権階級であることを誇れる空間でやってみせてください!冊封使や王侯貴族に見せた芸を復元して!(今回、県教育委員会が来賓として特別待遇したみなさんをまずお招きして、特権化した空間でも造って上演するのもいいのかもしれない?)

1719年を含め冊封使に見せたのは6回だけである。(ただし、たった6回の冊封だが公演回数は少なくはない。数十回あったとしても不思議ではない。具体的な数値を大城學氏にお尋ねしたい!)しかし多様な場でまた首里や天使館などでも公演が成されたようだ。お茶屋御殿でも、上層士族層の殿内でも上演されている。1719年から1879年までの160年の期間にどれほど組踊は上演され謡われ、地方にまた伝播していったのだろうか?1879年から1945年までの66年間に沖縄芸能が培ってきたもの、その中で組踊も継承されてきた。1945年から2011年(本年)までの66年間のめまぐるしい時代の変遷を経てユネスコの世界無形文化遺産への登録がなされたのが2010年である。1719年から何と291年の歳月が流れ、小国琉球の国劇(組踊)が世界に認知されるようになった!朝薫もあの世でびっくり仰天だろうか?まぁそれも日本の文化庁が1972年の日本復帰に、いち早く組踊を国の無形文化財に指定した制度的尽力もあるが、しかし文化庁は行政としては御自分にメリットのある政策をやっているだけのことである。世界の多民族国家を見たらいい。意図的に先住民族や少数民族の言語や音楽を含めた芸能・演劇を保存する政策をはかっている。その流れにのっているにすぎない。なぜ?国家統合にメリットがあり、それらの特異な文化は売りにもなるのである。観光産業のうま味の付加価値も創りだせるのである。例えばアメリカのインディオたち、フィリッピンのイスラム教徒(少数民族の芸能や祭り)、タイ、ベトナム、台湾、中国、インドなどの多くの少数民族の位相を見たらいいですね、類似する。EUもそうだ。ただジプシー(ロマ)の排除をフランス大統領などはやってのけたりしている。

多民族・多数派(マジョリティー)にとってのマイノリティー懐柔策として都合のいい手っ取り早い文化政策でもある。またそこに、少数ゆえに民族の記憶装置として有能な機能があることも確かだと言えよう。マジョリティーもしかし独自のアイデンティティー継承・保持のシステムは十二分に持っている。


「さかさま執心鐘入」には初演ほどの感動は起こらなかった。

確かに三間四方(四間四方)の様式の劇空間を額縁舞台にセットしての喜劇「さかさま執心鐘入」で、お能「沖縄残月記」を見た目には、違和感は起こりえなかった。懸命に狭い空間に身体をなじませる舞踊や所作の振付があり、いかにも様式化された舞台で呼吸できるかが問われてもいた。ある面漫画チックな要素も垣間見える舞踊でもあった!

先だって大阪の国際学会で大城新作組踊について発表するために、またあらためて【花の幻】を読んでみたのだが、「さかさま執心鐘入」は読んでも面白く一人笑っていた。

台詞で笑える。だから狭い空間で様式性を追求した今回の演出でも十分笑えた。舞台には吊り下げられた鐘だけがある。地謡は紅型幕の後に座し姿が見えない。

今回、嘉数道彦は全く冒険をしなかったのである。彼の関心はいかに四間四方の舞台に作品を押し込めるかにあったのだろう。そしてそれは観客の反応を見る限り成功もしたのだろう。しかし、物足りなかった。初演の劇場が爆発するような歓声はなかった。かろうじて最後にウェルメイドプレイのような統合をもたらした。それはあくまで台本の勝利である。

「とぅてぃん御仏ぬ前にふし拝でぃ 煩悩ゆ断ちゅる祈いあやびらな」
で、さ迷える宿の女の亡霊に救いをもたらす物語・詩劇になった。(沖縄的肝心か?)

般若波羅密多ぬ 霊験どぅんありば
後生極楽ん まくとぅさらみ


仲村逸夫が作曲した創作曲(主題曲)は冒頭で亡霊となった女の霊を払う場面とやはり最後の悲哀の女に向けられている。小僧たちの踊り、に玉城朝薫、紅型衣装の宿の女の亡霊、そして若い若松・娘のカップルも登場してにぎやかに踊り幕が下りる。それで観衆は拍手喝さいである。

今回見えてきたのは鬼となった宿の女の霊のゆくえである。それが成仏したのか、永遠に恋の執念を抱いてさ迷える鬼なのか、あるいは悪霊から善霊に変って解きほぐされたのか?多様な声がある。最近の研究例では大城學氏は経文で鬼の女は善玉になったとする意見である。つまり大城氏は女は善玉になった。元の姿に戻ったとの解釈である。しかし私自身は以前悲劇的リズムの観点からこの組踊について西欧の悲劇の概念と比べてみたのだが、仏教があまり根づかなかった沖縄で宿の女が鬼になった後仏法の経典で調伏したとは考えられないと思っている。【一層深く若松に思いを寄せる鬼女の心が読みとれる】と勝方恵子は佐藤孝子の女だけの組踊を見て論稿で評している。(宿の女は鬼になってその後成仏したのか、さ迷える霊のままか、結構関心が高いと見える)

今回の詩劇の面白さは宿の女が鬼になり霊となって末吉宮の鐘にまつわりついているという前提である。大城立裕はその宿の女の霊をもう一度表・舞台に呼び出し、その霊と若松、座主、小僧たち、そして玉城朝薫さえ呼び出して、メタシアター的大団円をもたらしたのである。確かに女がストーカーに追われて末吉宮に逃げ込むという事がすでに逆さまだが、ありえる話で、現代劇としても解釈できる。

それにしても初演の熱狂が耳に響く!削ぎ落された今回の舞台に幸喜良秀氏は満足なご様子だった。しかし、初演の熱狂を超えられなかったのはなぜか?このシンプルの舞台だと世界を二公演できる。それは確かだろう。英語の字幕さえつければどこでも拍手喝さいは可能である。しかし初演の大掛かりの大道具、照明を使った舞台の感動が消えた。また冒険的に地謡もまた舞台に出すオープンステージの拓かれたステージの良さを見たい聞きたい。地謡を隠すべきではない!そこは西江喜春先生に同意する。王府時代への回帰に頭が縛られている昨今の国立劇場おきなわ幹部のセンスに危うさを感じてならない。

新作は舞台装置を大いに全部取り入れて大胆に総合芸術の面白さを追求してほしい。確かに「真珠道」のように三間四方ではない四間四方の舞台でも女の覚悟の犠牲という物語を悲劇としてりりしく上演した。それはとても良かったと思う。しかし新作・現代組踊総べてその張り出し舞台の枠の中に収めるとまた興ざめしてしまう。

現代組踊の創造そのものだとする視点に立った時、おそらく演出によってはすべて四間四方の舞台にはめ込むことは可能である。そこをあえて冒険する視点がほしい。嘉数道彦の今回の演出はうまくその枠内に入れた。しかし私は初演の形態の舞台を見たい。

割れるような現代組踊を見たい!口笛が出て啜り泣く声が聞こえ、拍手喝采するあの舞台はもう永遠に消えたのだろうか?

ここで思うのは古典回帰もいい。王府時代のどの時代か、戌の御冠船の時代に戻るのも面白い!一方で現代の感性に額縁舞台の良さを存分に生かした舞台表象を見たい。同じ作品で2方向性の演出が可能だということになる。一つに絞るのだろうか?面白くない!

ならば固定化した組踊劇場を造るべきだろう。歌舞伎的な組踊もあれば、お能的な組踊もあるという事になる。その折衷が従来の組踊だと言えるだろうか、今回の成功を喜ぶと同時に削がれた総合芸術の現代的センスの縮小に危惧を覚える。

それからいかなる表象文化の実りも、例えば詩小説・演劇諸々が社会や世界で評価されるためには、観衆と舞台の仲立ちをする批評・研究者の立場を排除する姿勢は今後の沖縄芸能・演劇の発展に大きな疎外要因になるのだという事を関係者はよく認識してほしい。世界のノーベル賞はすぐれた批評家・研究家の評価を必要とする、もちろんいかなる芸術も一般大衆に享受される。そして中央からの視点だけにこだわってほしくない。比較検証をする上でどうしても中央からの目線が特化される現状もある。日本と沖縄の関係はまたオリエンタリズムの構図があるのも事実である。沖縄から日本や中国や他の国々の芸能・演劇・舞台表象を見る眼差しはどうなのだろう?弱さを感じる。

日本の文化勲章を授与された蜷川幸雄や、同じく文化功労賞の野田秀樹がいるが、世界が彼らの演劇表象を評価したのだが、それを正確に評価しその価値を論稿でまとめた眼差しがあったからである。だから身内意識の狭量さからは世界に飛びだせないのだという事も考えてほしい。今回の制作や県の姿勢を見るとその視野狭窄症が少し気になった。御苦労さま!しかし全く問題のない公演はないし、問題のないパンフレットもない。その辺の詳細はまた論じたいが、でも自分の論文にまとめよう?!

ところで、改めて矢野輝雄の『組踊への招待』と『組踊を聴く』をめくってみた。緻密な研究の中身に目を見張る。

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2 コメント

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非売品かと思います! (nasaki)
2014-06-05 13:19:13
しかし、沖縄県教育委員会にお問い合わせしてください。ひょっとしてら冊子の在庫あるかもしれません。
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Unknown (saori)
2014-06-04 16:06:10
このパンフレットは、どこで購入できますか?
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