演出の松門正秀さんの焦点が「一途な愛」だと言う事が、人のひたすらな思いの凄さ、切なさと共に迫ってきた。義理の世間ゆえに、真心を抑圧して生きざるを得なかった男女の諦観、それだけ、社会の仕組み、コンテキスト内で生きていく事の、葛藤が描かれた。 マチャーをひたすら恋焦がれていた元ジュリのナビーとマチャーが終幕に抱き合う場面は、沖縄芝居ならではの希望である。知花小百合の特別出演は、舞台に奥行を与えた。舞踊 . . . 本文を読む
あらためて、吉田妙子さんの司会に感銘を受けた。彼女はやはり只者ではない。幸子さんをい労り、彼女の身の上を語り、舞台進行上の些細なところをうまく誘導しているその姿に驚いた。幸子さんの当時の声は澄んでいて、「恋路花」「母の面影」「運命(さだみ)」、そして「ああ、夢どぅやる」を歌い、海のチンボーラーは滑稽で、冒頭の那良伊千鳥 (ならいちどり)の曲にあわせた踊りも素敵だ。圧巻はカチャーシーだが、カメラが舞 . . . 本文を読む
今月の末までには第72号が発行されるのでしょう。この詩誌は店頭に並ばないので、ちょっと寂しいですね。数冊でも並んでほしいです。ほとんどが、無料で、多くが全国の詩人たちや、関係者に発送されます。 . . . 本文を読む
(朝5時半から7時頃まで赤ショービンが鳴いている上間の杜に行ってみました。車から降りて杜の中、大きな亀甲墓などがあるその後ろの生い茂った樹々の中で鳴いていることが分かりました。飛んでいる姿は目撃したけれど、それも一瞬で、赤色は確認できませんでした。しかしごく身近に住んでいることが分かったので、次からは朝の散歩で来てみます。墓地が自然保護にもなっている事例がここ上間の杜かもしれない。彼らは毎年やって . . . 本文を読む
今年はなぜか、算盤の二語がやってくる。追いかけてくるような風なのだ。染色家の金城昌太郎 さんのユニークなお話を工房で拝聴した時、その文学の知恵に驚いた。歴史小説の大家吉川英治の優れた表現の一部をそらんじてお話された。それがとても良くてメモッタのをブログに書きたいと思っている内に、そのメモ書きがどこかへ行ってしまった。氏の哲学のような指針を知って驚いた。皮肉、アイロニーが印象に残っている。ネット上に . . . 本文を読む
ランタナの花は七変化で確かに色が多彩だ。いつの間にかかなり生い茂っている。太陽の光を浴びていき盛んな様子。ランタナと言えば、吉田妙子さんが代表の沖縄芝居「演」の「ランタナの花の咲く頃に」(長堂英吉の小説、新潮新人賞受賞作品)が思い出される。島正廣さんの脚本もいい。島さんは「走れトートーメー」を含め、なかなかいい戯曲を生み出している。 吉田さんに会いに行かなければと思いつつ、提出すべき課題が二つ重な . . . 本文を読む
母の日は「うちなー芝居」を観るのが多くのうちなーのアンマーやハーメーたちの楽しみだった。沖縄芝居もコロナ禍ゆえに、恒例の母の日の公演も限られてきた。今年は4劇団が各地で舞台に立つようだ。だんだん少なくなっているのは寂しい。その中でも注目すべき公演は劇団「うびらじ」の「てんさぐぬ花」である。「無法松の一生」を真喜志が沖縄芝居に翻案したこの芝居は、なんと1960年代に真喜志が脚色、主演、演出をした人気 . . . 本文を読む
小さな庭の草木はあまり剪定することもなく、ミニジャングルの雰囲気になっている。朝、道まで伸びてきたブーゲンビリアの葉を何本か切った。トゲがあるので愛らしい花だが、手入は気をつけないとならない。 所で、いつの間にか伸びたセンネンボクが陽光をたっぷり浴びて伸びている。きれいな濃いピンク色だ。千年木は長命の木なのだろうか。ドラセナ(幸福の木)も伸び放題。センネンボクはドラセナの仲間のようだが地下に多肉質 . . . 本文を読む
今までも夕方にもピーヒョロロ ピーヒョロロが聞こえてきた気がしていたが、特別夕方の鳴き声を意識したことがなかった。しかし、今日、確かに聞こえてきた。時間的には20分ほど続けて鳴いている。朝夕、彼らは鳴いてメッセージを送りあっているのらしい。なぜか新鮮な気がした。今日、オオゴマダラの蝶に愛されている方から渋沢栄一の著書『論語と算盤』について紹介された。そのYouTubeでの本の紹介の中で徳川家康の有 . . . 本文を読む