先日のブログでは黒羽城址公園の残念なアジサイの話題でしたが、「青い鳥は身近に居る」のことわざのとおり、近くの東那須野公園のアジサイを見に行きました。
先ずは散歩の前に腹ごしらえ。
昼ご飯は「バラCaffe」に予約しておきました!
すごい!本当に予約できるんだぁ~!
強香のバラ「クンツァイト」の良い香りをおかずに、カレー定食です。
「バラCaffe」の一番安いメニューです。
パスタは、料理人がスペシャルなので値が張ります・・・・
お腹を安心させたら、ハイキング開始です。
公園に着くと、涼し気な緑の日陰で一休み。
広葉樹は良いですね。
まあるい緑の透き通った葉っぱに癒されます。
公園内は沢山の種類のアジサイで一杯です。
全部品種名が書かれてありますので、知りたい方は現地へどうぞ。
ガクアジサイも沢山あります。
多分、両手でも数えきれない程の数の種類が公園内にはあります。
例の彼女が居る頂上まで行くと、見晴らしも良くアジサイも全体が良く見渡せますが、今日は妻が一緒なので彼女への挨拶は取りやめです。
帰路は山林のなかを行きます。
こんなところが私は好きです。
トトロが出て来そうです。
どこか夏の香りが漂う森林浴の中を進みます。
途中、花の香りの様な良い匂いのする場所もあります。
周囲を見渡しても花は咲いていませんが正に香ります。
上を見上げれば、無数の緑の星空です。
これが本来の人間が住む自然界です。
峠を越えて下って行くと大きなお寺があります。
6月28日は定例の修験道の方々による「火渡りの行」が行われ、TV局も来る結構有名なお寺ですが今年は一切開催予告のチラシも入ることなく、でも準備はしっかりされていました。
直ぐ近くにも関わらず、私はこのお寺の行事に行くとあまり良い事が起きない(家の中の物が壊れまくったりする)ので、できるだけ行かない様にしています。
信じるか信じないかはあなた次第!
ってところでしょうか。
そうは云ってもこの火祭りを克明にブログしたりしています。
考えようによっては、古い家電が壊れて買い替えたりするのは良い事にも成り得ると思います。
要は考え方一つで、悪にも善にもなるという事です。
人間は煩悩によって正しい判断が出来なくなってる可能性もありますね。
今日はその当日なので多分これから間もなくホラ貝の音が鳴り響いて火祭りが始まると思いますが今年は気が向かないので行きません。
お寺の左側に立っている杉の木は見事な緑の服を着飾っていました。
行かれたら是非左側の山林を見てください。
サイクリングで走る私にとってはとても息切れするような散歩道ではありませんが、妻はそこそこ運動になったようです。
昨日の午前中、先日の続きのジャガイモ掘りをしました。
皮算用は如何に!!
結果は次回。
出掛けにもたついていたら、事故に遭わなかったとかがあります。
何かね、虫が知らせるというか、第六感も働いて。
来月には、木星と火星と月・新月が並びますね。
新暦では早7月ですね。
今年の旧暦での七夕、楽しみです。
60年以上生きて思うのですが、うまく行かなかった時って、必ず自分の心の声を無視した時だって断言出来ます。
素直な気持ちで心の声を聞いて対策したり、時には行動止めたりした時には、「あー、良かった!」って後で思い返します。
逆に云えば「イケイケドンドン」の時も有るし、本当にそうなのかは自分の周囲の状況見れば分かります。
全ての条件が揃ってその行動を後押ししてくれました。
会社の仕事も私的な事も全てです。
まあ、自分の心の声がわからない人がほとんどなのかも知れませんが、きっとそう言う方は「そんなの有るわけ無い」が口癖で、煩悩だらけの頼りない脳みそで判断しようとして心の声を封じ込めているのだと思っています。
過去にも何人もの知人に話して来ましたが、「有るわけ無い」人はどこまでいってもうまく行かず不平不満で一杯、でも他人の意見は聞きません。
他人に何と云われようと、自らそれを選んで生きているので、その人にとっては不平不満が云える事が「幸せ」なのだと思います。
ただ、私が巻き添えになるような場合には相手に構わず、警告を発している自分の心の声を感じて影で対策して、事なきを得たことも何度もあります。
そんな時、その相手は「さすがだね~」って私に云いますがどうしてそう出来たのかは理解せず「運の良い奴」としか考えません。
この感覚、きっと分かる人は分かると思います。
アナザン・スターさんも分かるんじゃないですか。
わたくしには視えることが、他人には見えなくて嘘吐き呼ばわりです。
命って、人間だけがあるものではなく、自然では環境や状態・形態で異なるだけ。
仕事をしていた時には、危険回避をしようにも避けられないことが多発。
生きているのが厭で辛かったです。
分かるって、どんなに遠くても離れていても男女差もない。
意志の疎通の個体別だと認識しています。
私は感じるだけで視えたりはしませんが、そう言う頭で考えでも分からない力が有ると云うことだけは確かだと思います。
目の前で繰り広げられる事柄が良いか悪いかは後で分かることなので、私は神(自分)に祈る時はあーして欲しいこれが欲しいといった具体的な事は一切祈りません。
「自分の行為が良い方向に向かう」それだけです。
過去の「最悪の事態」でも時が経って見れば全部繋がっていて、その最悪が無ければ今の幸せが無いと思えますね。
だからどんなことに遭遇しても悲観する必要は無いと思っています。
他の何かにすがるのでは無く、自分の心の声(感覚)を自分の神として生きてきたし、これからもそうして生きたいと思います。
アンジェラアキさんの「拝啓十五の君へ」は私の想いをそのまま表現した様な歌詞で、初めて聞いたときに涙が溢れて止まりませんでした。