ハンドロールピアノを買ってひと月位になるだろうか、随分弾き方にも慣れてきた。
初めは「やっぱりこんな引っ込まない鍵盤、変な音が出てあまりいいものじゃないなあ」と思ったけれど、それはどうも、私の指がうまく鍵盤を押さえられていなかったせいらしい。
数日練習を重ねるうちに、通常のピアノとは無論比べ物にならないけれど、とりあえずまともに曲らしく聞こえるようにはなったようだ。
指使いなど、そうそう、こんな感じで入れ替えるんだよね、というのもおぼろげに思い出し、楽譜の読み方も忘れていたのが次第に記憶が蘇ってきた。
英会話を始める大人の方もこんな感じなんだろうなあ。
同居人が面白半分に鍵盤を触ってみるが、やはり音がちゃんと出ない。
良く見ると手の置き方が全然違うのだ。
習ったことのある私は無意識に指を丸めて鍵盤の上に置いている。1回泳げるようになったら忘れない、とよく言うけれど、そんなものなんだろう。
さて、楽譜集は「はじめての ひさしぶりのピアノ」という、細かい字が読みづらくなった中年以降向けの本だ。
音符はでっかく、「ドレミ」まで書いてあるありがたいものだ。
ショパンの「ノクターン」が楽譜ナシで弾ける様になったので、次は同じくショパンの「別れの曲」を練習し始めた。
子供の頃、家には表がショパン、裏がリスト、というピアノ曲ばかりのSPレコードがあった。母のお気に入りのレコードで私もよく聴いたものだ。
体裁も優雅で、臙脂色の地のカバー、そしてこの絵が付いていた。
ルノワールの「ピアノに寄る娘達」という絵だが、子供の頃はそんなことは知らず、燭台の付いたピアノの珍しさや、ピアノを練習する少女たちの美しい様子が気に入って眺めていた。
大阪に来て、おそらく展覧会のポスターかチラシか、でこの絵を見て初めてルノワールのものとわかったのだったと思う。
このレコードの中には勿論、「ノクターン」も「別れの曲」も入っていた。
母は「別れの曲」が好きで、レコードをかけつつ歌っていたものだ。
女学生の頃は歌が得意で、舞台で独唱したこともある、という母はきれいな裏声で、日本語の「別れの曲」を歌っていた。
先日ネットで調べてみたら、確かに日本語の歌詞があるのだ。母の歌っていたものを全てはおぼえていないが、「さらば、我が友よ」という部分があり、そこは「サビ」とも言うべき盛り上がりのところで、間違いなく母がそう歌っていた記憶があるので、おそらくこの歌詞だろう。
全くもって、ネットというのは便利なものだ。
しかしながら、あまりに何度もこのレコードを聴いたので、これ以外のCDでこの中の曲を聴くと、全く違うものに聞こえて困るのだ。
演奏者が違うと本当に違う。もう一度あのレコードを聴きたいものだと思うけれど、さて、実家にまだあるのだろうか。
子供の頃、私のピアノで歌いたい、という希望があって、私が「ピアノ習いたい」と言い出すのを楽しみにしていたという事だった。
あの頃の親はのんびりしていたし、子供が嫌だったら通わせる気はなかったのだそうだ。
小学校の音楽の教科書でいくつか、簡単なものを私が弾いて母が歌う、というのをした覚えがあるが、結局、ショパンがまともに弾けるような腕前まで行く前に私はピアノをやめてしまった。
今私が練習しているのは、ショパンはショパンでも超カンタンバージョンのもの、それでも曲らしくは聞こえるのだから、あの頃こういう楽譜があったら、母は私のピアノで「別れの曲」を歌うことができたのに、と思う。
あの頃は今よりずっと上手に弾けたのだし。
当時「ショパンのカンタンバージョン」というものがあったのかどうかは知らないが、あったとしてもそれを練習する、というのは邪道と思っただろう。
「バイエル」から段々と時間をかけて練習するのがピアノだったから。
今になって、当時はモーツァルトの曲を弾いていたのだ、と知ってびっくりした事があった。
単に「ソナタ」というテキストの中の曲、という意識しかなかったから。
高校の同級生が亡くなったという知らせが入ったのは月曜日。
高校時代には全く、ほとんど口もきいたことがなかったけれど、ミクシィでのお付き合いが去年、始まったところだった。
30年経って、昔話もまじえながら時折のメッセージのやり取りも楽しかったものだが。
年末に彼と岩見沢で会って飲んだ、というもう1人の高校の同級生のマイミクさんは、彼の死を知った日に1人で夜中に家で飲んでいて、電源入れていないのにラジオが鳴り出して、と言っていた。止めても止めても鳴った、と。
奴がいたずらしに来たのかな、と思った、とメッセージにはあった。
私は彼が亡くなった事を知らず、「別れの曲」を夜中に弾いていた。母の歌声を思い出しながら弾いていたのだけれど、誰かが亡くなることなどは考えもせず無心に練習していた。
母が、「こちらにお友達が来たよ」と教えてくれたのだろうか。
知らずに友に「別れ」を告げている私に合わせて歌っていたのかもしれない。
初めは「やっぱりこんな引っ込まない鍵盤、変な音が出てあまりいいものじゃないなあ」と思ったけれど、それはどうも、私の指がうまく鍵盤を押さえられていなかったせいらしい。
数日練習を重ねるうちに、通常のピアノとは無論比べ物にならないけれど、とりあえずまともに曲らしく聞こえるようにはなったようだ。
指使いなど、そうそう、こんな感じで入れ替えるんだよね、というのもおぼろげに思い出し、楽譜の読み方も忘れていたのが次第に記憶が蘇ってきた。
英会話を始める大人の方もこんな感じなんだろうなあ。
同居人が面白半分に鍵盤を触ってみるが、やはり音がちゃんと出ない。
良く見ると手の置き方が全然違うのだ。
習ったことのある私は無意識に指を丸めて鍵盤の上に置いている。1回泳げるようになったら忘れない、とよく言うけれど、そんなものなんだろう。
さて、楽譜集は「はじめての ひさしぶりのピアノ」という、細かい字が読みづらくなった中年以降向けの本だ。
音符はでっかく、「ドレミ」まで書いてあるありがたいものだ。
ショパンの「ノクターン」が楽譜ナシで弾ける様になったので、次は同じくショパンの「別れの曲」を練習し始めた。
子供の頃、家には表がショパン、裏がリスト、というピアノ曲ばかりのSPレコードがあった。母のお気に入りのレコードで私もよく聴いたものだ。
体裁も優雅で、臙脂色の地のカバー、そしてこの絵が付いていた。
ルノワールの「ピアノに寄る娘達」という絵だが、子供の頃はそんなことは知らず、燭台の付いたピアノの珍しさや、ピアノを練習する少女たちの美しい様子が気に入って眺めていた。
大阪に来て、おそらく展覧会のポスターかチラシか、でこの絵を見て初めてルノワールのものとわかったのだったと思う。
このレコードの中には勿論、「ノクターン」も「別れの曲」も入っていた。
母は「別れの曲」が好きで、レコードをかけつつ歌っていたものだ。
女学生の頃は歌が得意で、舞台で独唱したこともある、という母はきれいな裏声で、日本語の「別れの曲」を歌っていた。
先日ネットで調べてみたら、確かに日本語の歌詞があるのだ。母の歌っていたものを全てはおぼえていないが、「さらば、我が友よ」という部分があり、そこは「サビ」とも言うべき盛り上がりのところで、間違いなく母がそう歌っていた記憶があるので、おそらくこの歌詞だろう。
全くもって、ネットというのは便利なものだ。
しかしながら、あまりに何度もこのレコードを聴いたので、これ以外のCDでこの中の曲を聴くと、全く違うものに聞こえて困るのだ。
演奏者が違うと本当に違う。もう一度あのレコードを聴きたいものだと思うけれど、さて、実家にまだあるのだろうか。
子供の頃、私のピアノで歌いたい、という希望があって、私が「ピアノ習いたい」と言い出すのを楽しみにしていたという事だった。
あの頃の親はのんびりしていたし、子供が嫌だったら通わせる気はなかったのだそうだ。
小学校の音楽の教科書でいくつか、簡単なものを私が弾いて母が歌う、というのをした覚えがあるが、結局、ショパンがまともに弾けるような腕前まで行く前に私はピアノをやめてしまった。
今私が練習しているのは、ショパンはショパンでも超カンタンバージョンのもの、それでも曲らしくは聞こえるのだから、あの頃こういう楽譜があったら、母は私のピアノで「別れの曲」を歌うことができたのに、と思う。
あの頃は今よりずっと上手に弾けたのだし。
当時「ショパンのカンタンバージョン」というものがあったのかどうかは知らないが、あったとしてもそれを練習する、というのは邪道と思っただろう。
「バイエル」から段々と時間をかけて練習するのがピアノだったから。
今になって、当時はモーツァルトの曲を弾いていたのだ、と知ってびっくりした事があった。
単に「ソナタ」というテキストの中の曲、という意識しかなかったから。
高校の同級生が亡くなったという知らせが入ったのは月曜日。
高校時代には全く、ほとんど口もきいたことがなかったけれど、ミクシィでのお付き合いが去年、始まったところだった。
30年経って、昔話もまじえながら時折のメッセージのやり取りも楽しかったものだが。
年末に彼と岩見沢で会って飲んだ、というもう1人の高校の同級生のマイミクさんは、彼の死を知った日に1人で夜中に家で飲んでいて、電源入れていないのにラジオが鳴り出して、と言っていた。止めても止めても鳴った、と。
奴がいたずらしに来たのかな、と思った、とメッセージにはあった。
私は彼が亡くなった事を知らず、「別れの曲」を夜中に弾いていた。母の歌声を思い出しながら弾いていたのだけれど、誰かが亡くなることなどは考えもせず無心に練習していた。
母が、「こちらにお友達が来たよ」と教えてくれたのだろうか。
知らずに友に「別れ」を告げている私に合わせて歌っていたのかもしれない。
プロの文筆家の構成です。
ちなみにもしご実家にSPレコードがあった場合、「今入手できるレコードプレイヤーで78回転の回転数設定できるもの」が仮にあっても「針」がSP専用のものが必要になります。
ご参照
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1328020903
レコードプレイヤーって今でも手に入るのですね。やはりレコードの音が良い、と言う方もおられますものね。
F君のことについては、本当に「何故?」としか思えません。
母は長いこと病気だったし、予想もしていたことではあったけれど、F君については「一体なんのこと?」としか思えませんでした。
ちなみに我が家ではいまだにレコードでジャズをかけていますよ。
CDフォーマットはやっと最近ちゃんとした「音」になってきましたが
少し前ですとレコードのほうが圧倒的に「よい音」でした。
でも確かにジャズはレコードが良さそうに思えますね。
音が柔らかいのかな?
CDが発売されてしばらくはこれらはかなり発展途上だったのです。
最近ビートルズも「リマスタリング」されて再発売されました。これも技術の進歩を人類の遺産にほどこしておこうというこころみです。
昔のレコードとはものが違う訳ですね。勉強になりました!