この写真のような石灯篭や丁石が道しるべになっていた。現地ガイド氏はご高齢な方だったが、熱心に説明してくださった。
一番目の灯篭は丸亀港の近くに建つ、大きな灯篭で寄進した塩原太助の名前をつけて「太助灯篭」
参道にはこんな横断幕が・・・・
・・・・すべての道はこんぴらさんへ・・・
「一生に一度は、こんぴらさんへ」と金毘羅参りが盛んになったのは江戸中期以後のこと。丸亀、多度津、高松、阿波、伊予、土佐街道の金毘羅五街道のうち、最も栄えたのが、丸亀街道でした。当時、自由に旅することを許されなかった庶民にとって、こんぴらさんを目指す旅はまさにつかの間の日常から開放される夢の旅・・・。先人たちが残した足跡をたどりながら、あなたも歴史の風に吹かれて見ませんか?
「こんぴらさんへの道しるべ協議会」発行のパンフレットより