丸亀港から35分で本島港に着いた。瀬戸大橋の周りに浮ぶ大小28の島々・塩飽諸島。
塩飽(しわく)とは東と西から流れ込んだ潮がこのあたりでぶつかり合い”潮湧く”と呼んだことが始まりとか・・。
“本島は、その昔、時の権力者に認められ、全国に名を馳せた塩飽水軍の本拠地として、栄華を極めました。その名残りは、今も島のあちこちに息づいてます・・・と
その名残りのかっての海の政所「史跡塩飽勤番所跡」などをめぐり、この島で一番見晴らしの良い展望台「遠見山展望台」からみた。
丸亀港から35分で本島港に着いた。瀬戸大橋の周りに浮ぶ大小28の島々・塩飽諸島。
塩飽(しわく)とは東と西から流れ込んだ潮がこのあたりでぶつかり合い”潮湧く”と呼んだことが始まりとか・・。
“本島は、その昔、時の権力者に認められ、全国に名を馳せた塩飽水軍の本拠地として、栄華を極めました。その名残りは、今も島のあちこちに息づいてます・・・と
その名残りのかっての海の政所「史跡塩飽勤番所跡」などをめぐり、この島で一番見晴らしの良い展望台「遠見山展望台」からみた。
2日目の夕方、金刀比羅・丸亀街道を歩き終えた私たちは、港のお祭りに誘っていただいた。
主催者の挨拶、篝火に点火した後、若者3人が獅子舞を踊った・・・・その後私たちは中座させてもらったが、こども達のおどりなどが続いているようだった。
丸亀市内の商店街は他の地方都市と同じような現象“シャッター街”となっていた。
昔のような「こんぴらさん」を取り戻そうと必死になっている街のリーダーたち・・わが信州もそうだが、観光で町の賑わいを取り戻すのはたいへんなことだ。