熊野三山を目指した巡礼者たちは、お伊勢参りを済ませた後、伊勢路のスタート地点である田丸で巡礼衣装に着替え、熊野へむけ歩き出したという。
現在この田丸城址には学校になっていた。
私達はここから今夜の宿となっている熊野市の熊野かんぽの宿まで、車で3時間かけて南下した。
現在この田丸城址には学校になっていた。
私達はここから今夜の宿となっている熊野市の熊野かんぽの宿まで、車で3時間かけて南下した。
20年に一度、御正宮をはじめ全ての宮社が隣に移される遷宮が平成25年に行なわれるという。そのためにどの社も隣が空けらていた。
そのため用材は多くは私の故郷の木曾の山から木が切り出され、行列を作ってこの伊勢まで運ばれる。しかし、今回の遷宮には紀伊の御用地に育てられている80年物の檜が初めて使われると、また、解体された材料はその下の社の用材と使われて“神宮さんは今で言う「リサイクル・リユース」のお手本です”と、ガイドさんの説明があった。
そのため用材は多くは私の故郷の木曾の山から木が切り出され、行列を作ってこの伊勢まで運ばれる。しかし、今回の遷宮には紀伊の御用地に育てられている80年物の檜が初めて使われると、また、解体された材料はその下の社の用材と使われて“神宮さんは今で言う「リサイクル・リユース」のお手本です”と、ガイドさんの説明があった。
午前中の外宮(げくう)の見学を2時間かけて終り(その詳細はここでは省略しよう・・)外に出て食事をした。
「伊勢うどん」を、観光協会前の広場で(毎日曜に開かれる朝市で)釜の笊の中でふやけているコシのない太麺、これが特長だと威張って出されたそれを試食しており、みなさんの反応も見たくて・・・。ガイドさんお奨めの門前の小さなお店に皆で入った。
他にもあったが、私はこのシンプルな普通盛りの“伊勢うどん”
この丼の底に味噌からとった“たまり醤油”をベースに鰹節や昆布だし汁を加えた黒い濃厚な“えらくしょっぱい”つゆが敷いてあった。汁をかけるのでなくて“敷いて”という感じだ。
濃い味が好きな方には“癖になる味”かもしれない。どうしてこんなにトロッとした少ない汁になったかというと、ガイドさん曰く「参拝者に熱々のうどん食べてもらうこととそれを忙しく食べる時、汁がこぼれて汚さないように・・・」ということでそうなったんだ・・と。
名古屋の「きしめん」は私の好みですが、あの幅広の麺に汁と鰹節がワッとかかったうどんとはちょっとちがっていましたよ。
「伊勢うどん」を、観光協会前の広場で(毎日曜に開かれる朝市で)釜の笊の中でふやけているコシのない太麺、これが特長だと威張って出されたそれを試食しており、みなさんの反応も見たくて・・・。ガイドさんお奨めの門前の小さなお店に皆で入った。
他にもあったが、私はこのシンプルな普通盛りの“伊勢うどん”
この丼の底に味噌からとった“たまり醤油”をベースに鰹節や昆布だし汁を加えた黒い濃厚な“えらくしょっぱい”つゆが敷いてあった。汁をかけるのでなくて“敷いて”という感じだ。
濃い味が好きな方には“癖になる味”かもしれない。どうしてこんなにトロッとした少ない汁になったかというと、ガイドさん曰く「参拝者に熱々のうどん食べてもらうこととそれを忙しく食べる時、汁がこぼれて汚さないように・・・」ということでそうなったんだ・・と。
名古屋の「きしめん」は私の好みですが、あの幅広の麺に汁と鰹節がワッとかかったうどんとはちょっとちがっていましたよ。
この日は日曜日だったせいか、参道はお参りにくる人たちが列をなしていた。
私達は少し脇に寄って観光協会所属の熱心なガイドさんの説明をきいた。
“伊勢神宮は日本人の心のふるさといわれ、「お伊勢さん」「大神宮さま」とも呼ばれ親しまれています。皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社があり、「神宮」はこれらの125の宮社の総称で・・・”などと詳しい説明を伺ったが、周りの賑やかさで聞き取れなかった。(ので、この部分はいただいてきたパンフレットを見ながら書いてみた)
私達は少し脇に寄って観光協会所属の熱心なガイドさんの説明をきいた。
“伊勢神宮は日本人の心のふるさといわれ、「お伊勢さん」「大神宮さま」とも呼ばれ親しまれています。皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)の両大神宮を中心として14の別宮、43の摂社、24の末社、42の所管社があり、「神宮」はこれらの125の宮社の総称で・・・”などと詳しい説明を伺ったが、周りの賑やかさで聞き取れなかった。(ので、この部分はいただいてきたパンフレットを見ながら書いてみた)