11月15日~16日は小豆島を廻ります。
高松港から1時間で小豆島の土庄港に渡り、星ヶ城812mに車で登り、紅葉の寒霞渓を歩く、3時間の下り道だった。
昨日、塩飽諸島の本島へは小さな船だったが、今日はもう少し大きなフェリーだった。フェリーに乗った最後は、2年前の稚内~利尻島だったかなあと・・・桟橋が渡されるところを撮ってみたりしたが・・・あまり面白い写真でなかったので取り替えました。
この写真、右の湾にはいると戸庄港だった。小豆島に800メートル余りの高い山があったのにはちょっとびっくり。この写真に写っている山の後ろに星ヶ城という山があるという。
パンフレットには
笠島の集落には、江戸時代から戦前にかけて建てられた家屋が100棟あまり残っているという。鬼瓦、こて絵、漆漆喰塗りの白壁、なまこ壁など、塩飽大工たちの手仕事に往時を・・・・」
私たちが歩いている時、人影が見当たらなかった。平日の昼間だからだろうが・・
丸亀港から35分で本島港に着いた。瀬戸大橋の周りに浮ぶ大小28の島々・塩飽諸島。
塩飽(しわく)とは東と西から流れ込んだ潮がこのあたりでぶつかり合い”潮湧く”と呼んだことが始まりとか・・。
“本島は、その昔、時の権力者に認められ、全国に名を馳せた塩飽水軍の本拠地として、栄華を極めました。その名残りは、今も島のあちこちに息づいてます・・・と
その名残りのかっての海の政所「史跡塩飽勤番所跡」などをめぐり、この島で一番見晴らしの良い展望台「遠見山展望台」からみた。
2日目の夕方、金刀比羅・丸亀街道を歩き終えた私たちは、港のお祭りに誘っていただいた。
主催者の挨拶、篝火に点火した後、若者3人が獅子舞を踊った・・・・その後私たちは中座させてもらったが、こども達のおどりなどが続いているようだった。
丸亀市内の商店街は他の地方都市と同じような現象“シャッター街”となっていた。
昔のような「こんぴらさん」を取り戻そうと必死になっている街のリーダーたち・・わが信州もそうだが、観光で町の賑わいを取り戻すのはたいへんなことだ。
2日目の午後は丸亀港から塩飽諸島へ渡った。
写真は2日間泊まったオークラホテル丸亀とその後ろの山は讃岐富士と呼ばれている飯野山(422m)
・・・なかなか金毘羅街道歩きが進みませんね・・・
いま、12月9日(金)午前2時半。
今週は夜中にテレビを見ている。BSプレミアムで2000年に撮影された「ヨーロッパアルプストレッキング」シリーズの再々放送。 今夜はスイス・グリンデルワルド周辺、アイガー、ユウグフラウヨッホを眺めてのトレッキング。女優の手塚理美が40歳を目前にして留守番してくれるお母さんや息子たちを思いながら歩いていた。
私がスイスアルプスを歩いたのは20年前、40台の後半になっており、息子たちもそれぞれに親元を離れていき、仕事も病棟管理から管理部門に移った頃だった。思い切って2週間近い休みを取り、憧れのヨーロッパアルプスを歩いた。
あれからまた20年。2日前に69歳になった・・・。これからの20年は・・・と考えながら