日本農業新聞e農ネットの[大震災から3年 被災地はいま]に「産地を絶やせない 宮城県亘理町 赤間悟さん(44) (2014/2/19)」という記事が出ていた。
内容は以下の通り
ハウスは常磐高速の西側にあり、流出は免れましたが、イチゴは海水に浸かって枯れてしまいました。
9割以上のハウスが流出。
「亘理のイチゴを残さなければ」という思いで、塩水の被害を受けていないハウスにあった親苗などを使って、再び栽培を始めました。
ハウス内のがれきや泥出しを、多くのボランティアに手伝ってもらい、震災のあった、あの年に、私を入れて46人が土耕での栽培を再開しました。
「みんなで頑張るべーっ」と、声を掛け合いながらやってきました。
昨年完成したイチゴ団地にも参加しました。
初めての高設ベンチ栽培のため、試行錯誤の毎日です。
今ここで栽培ができるのは、「亘理のイチゴを絶やしてはならない」と頑張った46人がいたからとつくづく思います。
ただ、いまだに地下水の塩分濃度が下がらず、水の確保に頭を悩ませています。
団地が完成したからといっても、復興はまだ終わっていません。
というもの。
TPPを進めようしてる人たちは、こういう現場があることを忘れ、生産者の努力というものを、まったく無視しているのだろう。
こんな状態なのに、どうして「強い農業」なんて言葉が、簡単に言えるのだろうか。
内容は以下の通り
ハウスは常磐高速の西側にあり、流出は免れましたが、イチゴは海水に浸かって枯れてしまいました。
9割以上のハウスが流出。
「亘理のイチゴを残さなければ」という思いで、塩水の被害を受けていないハウスにあった親苗などを使って、再び栽培を始めました。
ハウス内のがれきや泥出しを、多くのボランティアに手伝ってもらい、震災のあった、あの年に、私を入れて46人が土耕での栽培を再開しました。
「みんなで頑張るべーっ」と、声を掛け合いながらやってきました。
昨年完成したイチゴ団地にも参加しました。
初めての高設ベンチ栽培のため、試行錯誤の毎日です。
今ここで栽培ができるのは、「亘理のイチゴを絶やしてはならない」と頑張った46人がいたからとつくづく思います。
ただ、いまだに地下水の塩分濃度が下がらず、水の確保に頭を悩ませています。
団地が完成したからといっても、復興はまだ終わっていません。
というもの。
TPPを進めようしてる人たちは、こういう現場があることを忘れ、生産者の努力というものを、まったく無視しているのだろう。
こんな状態なのに、どうして「強い農業」なんて言葉が、簡単に言えるのだろうか。