今しがたホクレンより、Facebookでの発信をしていくにあたって、JA毎が良いのか、共和国みたいな組織が良いのかという質問が来たので、自分としては、各JAごとにFacebookを作ってほしいというようにお願いしておいた。
理由は「でっかい道」という事。
隣どおしと言っても、土地から環境から異なってしまう程の距離がある。
だから当然、田植え時期から異なってしまうのが当たり前。
ならば、各JAごとに発信してもらった方が、受け取る側としては、より地域性が見えるからである。
さらに、普及員も生産者も書き込んでもらえれば、願ったり叶ったりなのだが。
しかし心配なのが、Facebookを立ち上げても、何処程度の頻度で書いてくれるのかという事。
「田植えしました」の次が「稲刈りしました」では、意味が無い。
1か月に1回程度の発信でも、情報社会の消費地では使い物にならない。
スーパーでは売り上げが伸びていたとしても、ブランド化を仕掛けている米屋の売り上げが落ちているようでは、プロジェクトとしては失敗である。
プロジェクトを成功させるためには、自分たちのトーンを下げないようにする事が一番。
なのに、全てはスーパーに対して風は吹いている感じがする。
産地には、多分判らないだろう。
店舗は減り続けているし、将来も見えていない米屋ではあるが、自分たちはスーパーには出来ない力を持っている。
その自分たちを排除して、消費地での成功など、まだまだ出来るはずは無いのだ。
(生産量が完売できればOKなら、今のままでも良いけど・・・)
なのだが、甘ったれた事を言い、言い訳をし、先延ばしをして、さらには自惚れ始めている今の北海道、ホクレン・JAには、それが見えなくなっているらしい。
もしも見えているというのなら、今回、ここまで自分を怒らすことは無いはずである。
北海道は、10年前を思い出すべきだろう。
「ゆめぴりか」が誕生したとしても、市場を味方に出来なければ、意味が無い。
土台を作りそこなった北海道米は、想像以上にもろい。
今あるポジションは、足場も無い砂の上。
つまり北海道米は、まだ「厄介道米」の範囲内にいるのだ。
ブランド米に上る事が苦痛だと言うのなら言って欲しい。
10年前の「厄介道米」に戻りたいというのなら言って欲しい。
直ぐに戻してあげるけど。。。。
理由は「でっかい道」という事。
隣どおしと言っても、土地から環境から異なってしまう程の距離がある。
だから当然、田植え時期から異なってしまうのが当たり前。
ならば、各JAごとに発信してもらった方が、受け取る側としては、より地域性が見えるからである。
さらに、普及員も生産者も書き込んでもらえれば、願ったり叶ったりなのだが。
しかし心配なのが、Facebookを立ち上げても、何処程度の頻度で書いてくれるのかという事。
「田植えしました」の次が「稲刈りしました」では、意味が無い。
1か月に1回程度の発信でも、情報社会の消費地では使い物にならない。
スーパーでは売り上げが伸びていたとしても、ブランド化を仕掛けている米屋の売り上げが落ちているようでは、プロジェクトとしては失敗である。
プロジェクトを成功させるためには、自分たちのトーンを下げないようにする事が一番。
なのに、全てはスーパーに対して風は吹いている感じがする。
産地には、多分判らないだろう。
店舗は減り続けているし、将来も見えていない米屋ではあるが、自分たちはスーパーには出来ない力を持っている。
その自分たちを排除して、消費地での成功など、まだまだ出来るはずは無いのだ。
(生産量が完売できればOKなら、今のままでも良いけど・・・)
なのだが、甘ったれた事を言い、言い訳をし、先延ばしをして、さらには自惚れ始めている今の北海道、ホクレン・JAには、それが見えなくなっているらしい。
もしも見えているというのなら、今回、ここまで自分を怒らすことは無いはずである。
北海道は、10年前を思い出すべきだろう。
「ゆめぴりか」が誕生したとしても、市場を味方に出来なければ、意味が無い。
土台を作りそこなった北海道米は、想像以上にもろい。
今あるポジションは、足場も無い砂の上。
つまり北海道米は、まだ「厄介道米」の範囲内にいるのだ。
ブランド米に上る事が苦痛だと言うのなら言って欲しい。
10年前の「厄介道米」に戻りたいというのなら言って欲しい。
直ぐに戻してあげるけど。。。。