今朝 つけっ放しのテレビに ふと目が留まった
富士山を麓から頂上まで案内する 山岳ガイドのN氏という名前に見覚えがあったからだ
「 あっ・・ この人知ってる! 」
数年前に 「 地図を読む 」という山歩き講座でお世話になった 若い山岳ガイドさん
こんな人だっけ?
記憶が薄い
名前を覚えていたのは 今でも時々 山歩きのお知らせがメールで来るからだ
まだ 私のメルアドがリストに残っているのだろう
夫に説明しながら すっかり忘れていたその時の事を 私は少しずつ思い出した
5万分の1?の地図から 登山する道を読み解き コンパスを使い方向を迷わないようにする
そんな目的で 奥多摩の低い山を歩いたのだったと思う
その頃の私は 少し時間のゆとりが出来て これから山歩きをしたいという気持ちがあった
参加者は おばさんの私と友人のM子以外は若い女性ばかりの 合わせて8人ほど
午後も大分まわった頃 ガイドのNさんが立ち止まり考え込んだ
地図上にある筈の道がないのだ
人の往き来が少ない低い山の道は 手入れがされず 消えてしまう事があるという
「 この方角に間違いない筈だ 」ということになり 道なき道を 藪こぎすることになった
でも 晩秋の日の陰るのは早い
午後3時を過ぎれば 暗くなるのはあっという間だ
Nさんの決断は早かった
「 元来た道を戻ろう 」
それから 私たちは日が落ちるのと競争で 必死に来た道を戻った
とっぷりと闇の降りた道を ライトを照らしながら歩いた
結局 時間は大幅に過ぎたが 無事に目的地に到着した
どうやら 私は Nさんとも 山とも 縁がなかったようです
その時 「 ガイドなら下調べしておくべきでしょう!?」とキレたM子を 私は許せませんでした
次のバスまで1時間待たなければならないと聞き M子はタクシーで帰ると言います
「タクシー代をもつ」というNさんを押しとどめ 私はタクシーを呼びました
M子は それから食事をする約束があるので急ぐのだそうです
タクシーの中で 私はM子に言いました
「 朝 あなたが遅れて来たので みんながどの位待ったと思ってるのよ 」
もう 金輪際 M子と行動を共にするのはやめた
それから 1年間 音信不通でした
でも 私 忘れてしまうのですよね
ほら 1年ぶりに M子から電話がかかってきました
「 今 こっち(東京)に戻って来てるの・・ 今日逢えない? 」
「 今日は これから仕事なの 」
「 終わってからは?」
「 ん・・・ うん 」
いつだって 自分中心
相手の都合はお構いなし
これが ずっと昔から繰り返されているのですよね
切れそうになりながら 切れない
縁があるということなのでしょうか?
M子は その後も単独行の山を続けています
怖い~