花巻といえば 宮沢賢治の故郷
宮沢賢治記念館があります (画像はイーハトーヴ・センター)
此処に来れば 賢治が創り上げようとした世界が よく分かります
賢治は 薪ストーブのように 人々を心地よく暖めてくれる人だということも・・
高村光太郎が 宮沢賢治について書いた文章があります
宮澤賢治は稗貫郡花巻町に明治二十九年に生れ、この人もたった三十八歳で死にましたが、その為しとげた仕事の立派さは驚くばかりです。此の詩人の詩や童話は実にたくさんあり、どれをよんでみても心が清められ、高められ、美しくされないものはありません。非常に宗教心にあつく、法華経ほけきょうを信仰して、まるで菩薩ぼさつさまのような生活をおくっていました。仏さまといってもいい程です。自分をすてて人の為に尽し、殊に貧しい農夫の為になる事を一所懸命に実際にやりました。詩人であるばかりでなく農業化学や地質学等の科学者でもあり、酸性土壌改良の炭酸カルシュームを掘り出したり、世の中にひろめたりしました。皆さんの知っている「雨ニモマケズ」の詩は病気でねている時に書いたのですが、今日でも多くの人に救と力とを与えています。「風の又三郎」を映画で見た事がありますか。あの童話も宮澤賢治の作ったものです。此詩人は全く世界的な大詩人といっていいでしょう。
啄木といい、賢治といい、皆誠実な、うその無い、つきつめた性格の人でした。
「昭和文学全集第4巻」小学館
宮沢賢治は 東京で一度 高村光太郎を訪ねています
高村は ちょうど彫刻の作品に没頭しているところで 会うことは出来ませんでした
その後 二人が会う機会は 二度とありませんでした
けれど 高村光太郎が東京から花巻に疎開した先は 宮沢賢治の弟の家でした
そこも又 空襲に遭い 山口という村にある小屋に住む事になります