休耕田のハーブたち

新潟の風土で元気よく育っている
休耕田のハーブたち。
ハーブたちの四季とハーブを通した生活を
ブログにしました。

城塞都市「ローテンブルク」

2009-11-14 19:55:31 | つぶやき
何気なく新聞のテレビ番組欄を見ていて「古城街道を行く」が目に入りました。
私達は「ロマンテック街道」に行ったけど‥
と思いながらテレビを見ました。なつかしかったです。
「ハイデルブルク」や「ローテンブルク」の様子が映し出されました。
「あっ、ここ行った。」「あっ、ここで写真撮った。」という感じ。

中世の面影を一番残しているのがローテンブルグと言われています。
ローデンブルクの城壁は12世紀頃から作り始められ、町の回りを張り巡ら
していったそうです。
第二次世界大戦で壊れましたが、戦後、寄付を募り、再現したそうです。
寄付者のプレートが城壁にはめられていました。日本人の名前も多数
ありました。城壁の上から右を見ると城外が、左を見ると町の様子が手に
取るようによく見えます。「きれい!」の一言。
ゥン百年前にタイムスリップしたようでした。

古城街道とロマンテック街道の交差点に位置するのがローテンブルクとか。
旅行中、説明にあったのでしょうが、私の記憶からは飛んでいました。
私はローテンブルクの街を包み込む城壁に感激しました。
「昔のローテンブルクの人々はこの城壁で守られていたんだなー」と。
でも友達は、「息苦しくなりそう、疫病が流行ったらおしまいよ。」と。

昔は、街から外への出入りは(その逆も)検問があり、難しかったそうです。
緑地や栽培地スペースもありませんでした。
疫病が流行った時、人々は外を出歩くのにハーブの束(タッジー・マッジー)
を口の回りにあて、ハーブの香りを嗅ぎながら、歩いたそうです。
その意味が理解できませんでしたが、街を歩いて、見て、歴史を感じて、
「ハーブ」が人々の生活と密接なかかわりをもっていたことが少し、
理解できました。

白ワインの生産が有名なローテンブルク。
街を散策しながら疑問が湧きました。
昔の人々は、ぶどうをどこから運び、どこでワインを製造していたの?
食料はどこから運んできたの?
ハーブはどうしたの?

城内と城外を区切る「門」の外にでて、街を振り返ったとき、分かりました。
城塞の外側斜面一面にぶどう棚があり、その下一面に野菜畑がありました。
ここで栽培したものを毎日担いで、門で検問を受け、街の中に運んでいたの
かなー。大変だなー。
韓国ドラマにもこれに似た場面があったっけ?
戦争はいやだな。でも、城塞都市「ローデンベルク」は好き。
もう一度行きたいなー、と思うこの頃です。
コメント
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