のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

音を失った作曲家・佐村河内守さんの、壮絶を極める曲づくり!

2013-04-16 18:51:21 | 日記

 日本人の作曲家が創った交響曲が、今世界中の人から注目を集めているということは、昨年暮れくらいのテレビ報道で、何となく知っていた。

 でも、その作曲家のことも、彼が作曲された曲のこともハッキリ知らないまま、最近までうち過ぎていた。

 それについてはっきり知ったのは、先日の“NHKスペシャル” 『魂の旋律 音を失った作曲家』を見てのことだった。

                

 

 “音を失った作曲家”とは、広島出身の作曲家・佐村河内(さむらごうち)守さん、49歳。

 彼は、幼い時からいろんな楽器を練習し、将来は作曲家になるために勉強されていた。

 その彼を悲劇が襲ったのは、高校時代の電車の中。

 突然目の奥に激しい痛みと衝撃を受けた彼は、その後次第に聴力を失い、激しい耳鳴りと頭痛に悩まされる。

 そして35歳のとき、かれの聴力は完全に失われた。

 (病の原因は不明だとのこと。)

 

 一時は希望を失い、絶望の淵に追い詰められた彼だが、その彼に再び力を与えたのは、障害を持って生きる人たちとの音楽活動だった。

            

 

 その中でもとりわけ彼を勇気づけたのは、小学校6年生の大久保美来(みく)さん

 彼女は、右腕の肘から先がないというハンディを持ちながら、プロのバイオリニストを目指して、明るくがんばっている。

              

 

 佐村河内さんは、言われる。

 「僕は初め彼女を支えるつもりでいたが、逆に彼女に支えられた。」と。

 (下の写真は、美来さんが、4年という歳月を掛け、左手だけで折って、佐村河内さんにプレゼントした‥『千羽鶴』)

               

 

 

 「困難という闇の中に身を置きながら、希望を求め続ける人のために、僕は曲を創る!」

 彼は、作曲家として生きる意味を見つけられた。

 

 その彼は、以前から「ヒロシマ」をテーマにした『交響曲』を創りたいと考えられていた。

 でもそれは、激しい耳鳴りと体調不良のため、なかなか完成に至らなかった。

 常に彼を襲う、激しい耳鳴りと頭痛!

 しかし彼は七転八倒しながらも作曲を続けられ、2003年、終に『交響曲第一番 HIROSHIMA』が完成する。

 下の写真は、その『交響曲』の演奏風景。 (指揮は大友直人氏、演奏は日本フィルハーモニー管弦楽団)

              

 

 

 そしてこの曲は、日本のみならず世界からも注目され、最近の調査では、歴代の名立たる作曲家に並んで、現代の作曲家ではただ一人、佐村河内氏

がランクインされたのだそうだ。

               

 

 彼は、ある人々からは、『現代のベートーヴェン』と呼ばれている。

 そして彼の「交響曲」は、東日本大震災の被災地の人々からは、『希望のシンフォニー』として、強い支持を受けているのだそうだ。

 

 彼は、被災地との交流も持たれ、その中で、津波で母親を亡くした一人の少女(梶原真奈美さん、小4)と、メールで交流を深めてこられた。

 そんな中で彼は、少女のために、『被災地のためのレクイエム』を作曲する決意をされる。

 (下の写真は、母を亡くしながら健気に前を向いて生きる、梶原真奈美さん。)

                 

 

 

 そして今回も、壮絶を極めた病との闘いの中から、『レクイエム』は生まれた。

 下は、真奈美ちゃんの通う小学校の体育館で演奏された『レクイエム』を、並んで聴く二人。(と言っても佐村河内さんには、何も聞こえないのだが)

               

 

 そして『レクイエム』は、多くの被災者の感動の涙を誘った。

              

 

 佐村河内氏は言われる。

     「闇が深ければ 深いほど 小さな光というのは とても輝いて見えるし

     障害があることによって 生まれてくるもの  闇の中から つかんだもの  そういったものこそ 

     僕にとっては 真実のものじゃないかと 思えてくる。」

 

 

 私はこの番組を見て、すぐに『交響曲第一番』のCDを買いたかったが、1週間前にやっと手に入れることができた。

         

 

 そして、早速この曲を聴いてみた。

 聴いてみて意外だったのは、、この曲が、(佐村河内氏の抱えておられる苦しみを考えると)不思議なほどの「静けさ」(と言うと、ちょっと語弊があるかも

知れないが)と、「穏やかさ・温かさ」に満たされていることだ。

 私は、この曲が、被災地の人々から、『希望のシンフォニー』と呼ばれる意味がよく分かった。

 

 そして私は、佐村河内氏の生き様とその音楽から、困難な中でもなんとか生き抜いていく、“勇気”と“希望”をもらった気がする。

 こうして、この番組で知った、佐村河内さんを初め、「闇の中に光を求め」て生きる多くの人々の存在は、私の心の大きな支えの一つとなった。

 

 

              ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 (上の中味とは全く関係ないけれど、今日の我が家のベランダで、今を盛りと咲き誇っているマーガレットとペチュニアの写真を、添えておきます。)

        

 

 

 

 

 

 

 

 

 


きのうの中津公園

2013-04-16 10:58:38 | 日記

 今日から造幣局の通り抜けが始まり、昨日はそれに先立って、高齢者や障害者の方々が招待されてお花見を楽しまれていると、テレビが報じていた。

 その映像を見ると、造幣局の八重桜は、すでにほとんどが満開になっている。

 これだったら、我が中津公園の八重桜も、とっくに見頃を迎えているに違いない!

 私は慌てて中津公園に向かった。

 

 公園に行く途中の市営住宅のお庭で、あまりに可愛くお花が咲いていたので、撮っておいた。

                

 

 

 中津公園には、数本の八重桜がある。

 そのうちの、公園入り口近くの、薄いピンクの八重桜が、大きく枝を伸ばして沢山花を開いていた。

 薄いピンクの花とバックの緑のコントラストも美しく‥。

            

                  

 

 

 公園入り口付近には他に、(八重ではない)白い桜と、「関山」という、よく見かける濃いピンクの八重桜が、それぞれ1本ずつ植えてある。

 「関山」は、後にも写真を載せるので、ここでは、一重の白い桜だけ載せておこう。

                   

 

 

 公園中央の広場(子供の遊び場)の真ん中に、(たぶん今年新調された)鯉のぼりが立てられていて、私を喜ばせた。

                 

 

 

 遊び場を通って、入り口とは反対側の公園の端まで来ると、そこでも「関山」が、旺盛に花を咲かせている。

        

 

 

 そして、薄いピンクの八重桜が、淀川の堤防をバックに、今年も大きく枝を伸ばしていた。

              

 

 

 引き返して、公園中央と公園周囲に造られている花壇のところまで来て、私はアッと息を飲んだ。

 この間も書いたが、花壇は、色とりどりのチューリップでいっぱいなのだ!

 (チューリップは花壇のアチコチに植えられていて、写真のチューリップは、そのごく一部。)

           

 

 

 チューリップだけでなく、ツツジも橘も、牡丹さえも、もう花を開いているのには、本当に驚いた!

         

 

 

          

                

 

 

 最後に、風に乗って少し泳ぎ出した鯉のぼりと、美しいコントラストを見せる桜と新緑の写真を(再度)載せて、中津公園のブログを終わります。

                

                     

 

 風に乗って元気に泳ぐ鯉のぼりのように、子どもたちが(大人たちも)、元気で楽しく暮らせる一年になりますように♪

 

 

 

 

 

 

  

 


2連チャンで、“ちょいグルメ”♪

2013-04-16 09:05:05 | 日記

 先週末の、13日(土)と14日(日)は、ちょっとリッチな食事が、3回も続いた。

 

 

 その第1弾は、13日(土)昼に行われた、以前の仕事仲間の、恒例の食事会。

 今回は、阪急百貨店13階のレストラン街にある、日本料理の老舗・『つる家』で行われた。

 ランチだけれど、会費は6000円なり!(少ない年金生活者の私には、結構コタエル金額だ。)

 でも、昔一緒に苦労した方々と、それぞれの近況や昔の懐かしい想い出を語り合いながら、美味しいお料理をいただくのは、やっぱり楽しい。

 

 『つる家』さんのお料理は、どれもとっても美味しかったが、撮った写真は1枚のみとなった‥。

                  

 

 

 

 続く14日(日)は、姪の子供の大学生・N君と、久しぶりに食事(昼食&夕食)を共にすることになった。

 N君は、まだ大学2回生。

 熊本から出てきて、去年から学生マンションで、一人暮らしをしている。

 彼は、食事には結構気を配っていて、毎朝ほとんど、具だくさんのお味噌汁を作って食べていると、なかなか感心なことを言っていた。

 それでも、やはり学生の身。

 食費にそんなにお金は使えない。

 そこで、“大叔母”たる私め(プラス姉夫婦)が、たまにご馳走?する、というわけだ。

 

 お昼は、(つい最近もこのブログに書いた)中津の『ビストロ・ド・ヨシモト』に、N君と私の二人で行った。

 この間も書いたが、中津で私がちょっと自慢できるお店は(今のところ)ここしかない。

 14日は日曜日だったので、平日とは違うランチメニューだったが、その日の料理もなかなか美味しかった。

 (若い男の子にしては、繊細な味覚の持ち主の)N君も、満足してくれたようで、嬉しかった。

 (ここの料理は、初めから終わりまで全部撮った。)

             

 

         

 

                

 

 

 ランチの後は、我が家に来てもらってしばらくお喋り。

 その後、N君は友だちのライブを聴きに、一人で難波へ。

 

 ライブ終了後、京橋駅で待ち合わせて、京阪モールの『えんどう寿司店』で、再び夕食を共にした。

 夕食には姉夫婦も合流して(というか姉の旦那が予約から何から手配してくださった)、4人で賑やかにお寿司をいただいた。

 『えんどう寿司店』は、気取らない大衆的なお寿司屋さんだけど、中央市場で直接仕入れた魚をネタに、美味しいお寿司を食べさせてくださる。

 一皿5貫のにぎり寿司が、「おまかせ」で、もういいと言うまで順番に出てくる。

 私は3皿でお腹いっぱいに!

 次は、その内の2皿の写真。

     

 

 姉は3皿の途中でギブアップ、旦那は5皿くらいだったかな?

 若いN君は、確か6皿までいったと思う。

 さすがに、若い!

 

 この日は、昼はフランス料理・夜はお寿司と、食事も変化に富んでいたので、N君にもまあ満足してもらえたのでは?と思っている。

 お寿司の後は梅田に出て、新阪急ホテルの喫茶室でコーヒーやジュースを飲んでから、解散した。

 私にとっても、とっても楽しい一日となった。