のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

“ガタロさん”が描く絵

2013-08-18 16:37:51 | 日記

 “ガタロさん”は、広島生まれの63歳。

 30年来、広島にある“基町(もとまち)ショッピングセンター”の清掃員をされている。

 月給、15万円。

 “ガタロ”という名まえは、故郷を流れる三篠(みささ)川(旧・太田川)に住む“河童”にちなんだ名まえ。

 広島では、“河童”のことを、“河太郎”とも“ガタロウ”とも言う。

 河童の“ガタロウ”は、川の中で、今も自由に暮らしているのだそうだ。

 その“ガタロウ”からとって、“ガタロ”と名乗ることにされたのだという。

              

 

 

 ガタロさんが清掃の仕事をされている“基町ショッピングセンター”は、戦争で家を失った人のために建てられた“基町高層アパート”に併設して、造ら

れた。

 下の写真は、基町高層アパートの夜景と、基町ショッピングセンターの一部。

     

 

 基町ショッピングセンターは、店舗数が100を超え、通路の全長が400メートルもある、かなり大きな商店街だ。

 東西南北の4ヶ所に、4つのトイレがあり、便器の数は50にものぼる。

 その通路とトイレ全てを、ガタロさんは一人で掃除される。 朝の4時から。

 

 幼い頃から絵を描くことが好きだったガタロさんは、ショッピングセンターの掃除道具をしまう4畳半ほどの部屋を、絵を描く場所として使う許可を得

た。

 こうして、彼の念願の“アトリエ”ができた。

 とは言え、掃除道具と同居の、お世辞にもキレイとは言えない“アトリエ”だけど。

 そして彼が使われる画材は、使われなくなった色鉛筆やコピー用紙などなのだ。

 

 アトリエを持った彼が先ず最初に描かれたのが、“掃除道具”。

               

 彼は“棒ズリ”や“モップ”を見ながら、しみじみと言われる。

 「僕が時にいら立って、ガーッと使うてもね、黙って立っとるでしょ。」

 「何も文句を言わんわけですよ、最も汚い所をきれいにする仕事やっとって。」

 普段は、誰にもかえりみられることのない掃除道具。

 だけど彼らは、文句も言わずに、やるべきことをきちんとやって、静かにそこに存在している。

 その姿・たたずまいに、ガタロさんの心は強く惹きつけられた。

 ガタロさんにとって、掃除道具は、自分の仲間であり、分身であると同時に、尊敬すべき存在でもあったのだ。。

 

 ガタロさんは2年前、“素描集『清掃の具』”を、自費出版された。

 彼の人生初の画集だ。

             

 

 (その中から、4点の作品を次に載せます)

               

       『大五郎』とは、彼が清掃道具を入れて運ぶために、自分で作った「愛車」につけられた名まえ。今は3代目が活躍している。

 

      

 

             

 

 最後の「歯の抜けた棒ズリとホース」は、掃除道具としての役目を終えようとしている棒ズリの姿を、描いたもの。

 「最後に、残った毛を散髪してきれいにしてから、土に埋めようと思っとります。」

 その彼の言葉は、私の胸に、熱く重く響いた。

 物を単なる物として見るのではなく、一つの命ある存在物として見、大事にされるガタロさん。

 その心の有り様を、私はとても素晴らしいと思う。

 そしてそれは、消費生活に慣れきった私への、強い警告でもあった。

 


 

 

 ガタロさんは、1949年、広島の生まれ。

 被爆者であるお父さんは、原爆について多くを語られないまま、60歳で亡くなられた。

 ガタロさんがお父さんの口から聞いたのは、「地球の終わりじゃ思うた‥。」の一言だけだったとか。

 ガタロさんは被爆の現実に向き合うべく、掃除道具と並行して、原爆ドームを描き続けていかれる。

 4~500枚は描いたであろうと言われる原爆ドームの絵は、しかし何故か、そのほとんどが気に入らなくて、処分してしまわれたのだそうだ。

 残ったものの中から、2枚だけ。

          

 

                  

 


 

 

 10年前、ガタロさんの前に一人のホームレスの男性・S氏が現れ、自分を描いてくれと頼まれた。

 ガタロさんは、彼の真意をはかりかねながらも、とりあえず彼を描いた。

            

 

 しかし、何枚か描いていくうちに、ガタロさんは、彼を描かなければいけないと、考えられるようになってきた。

 口数の少ないS氏だったが、彼を描くうちに、彼の存在そのものに、ガタロさんは強く惹きつけられていく。

 「彼が生きとるんじゃということも、僕が描きゃあ、残るいうんかね…。」

 ガタロさんは、S氏が確かにこの世に存在しているということを、S氏の生の尊厳みたいなものを、自分の絵で表そうとされたのかもしれない。

             

 

 しかし、S氏は5年前に、突然姿を消した。

 今でもガタロさんは、彼のことを忘れられないでいる。

 


 

 

 ガタロさんは、清掃の仕事を始められたあと、40歳で、7歳年下の悦子さんと、結婚された。

 今は一人息子が独立し、決して広くない借家で、悦子さんと共働き(悦子さんは看護師さん)の生活を送られている。

 ガタロさんはもちろんだが、妻の悦子さんも、実に実にスバラシイ人だ。

 下の写真(右)は、悦子さんが、忙しい仕事の合間をぬって、借家の周りで、丹精込めて育てられている薔薇。

          

 

 彼女は言われる。

 「私は、主人の、掃除道具を描いた絵が好き!」と。

 そして、

 「主人は体も弱くて、世の中の真ん中を大手を振って歩くような人じゃないけど、“表現する”ということができて、本当によかったと思う。

 一日でも長く生きて、描けるもの・描きたいものを描いてくれたらいいと思う。」 とも。

 彼女もまた、人間にとって何が大切なのかを、よく分かっている人なのだ。

 本当に素晴らしいご夫婦だ!

 

 私は広島・基町を訪ねて、ガタロさんご夫妻に一度会ってみたくなったりもした。