のんスケの‥行き当たりバッタリ!

ぐうたら人生を送ってきた私が、この歳になって感じる、喜び、幸せ、感動、時に怒りなどを、自由に書いていきたいと思います。

強制的に隔離された『ハンセン病棟』で生まれた、こんなにも “清らかな絵”

2019-11-20 17:11:37 | 日記

              

 

 先日の「日曜美術館」で、≪光の絵画≫と題された番組(上の写真)が放映された。

 その冒頭に映し出された何枚かの絵(下の写真)を見て、私の心に最初に浮かんだ率直な思いは、「なぜこんな明るく清らかな絵が描け

たのだろう!?」だった。

 

           

                     「根子岳」 森繁美 (2002)

 

                             

 

          

                  「夕すげの咲く頃」 吉山安彦 (1994)

 

                               

 

          

                    「遠足」 木下今朝義 (1996)

                      

                                  (上から2枚目と4枚目の作者は、紹介されなかったと思います。)

 

 

  ハンセン病療養所・「菊池恵楓園」(熊本県合志(コウシ)市)は、昭和6年に制定された『癩予防法』によって、ハンセン病患者を強制的に

隔離するために全国に造られた療養所の中でも、最も大きく、昭和30年代には1700人を越える患者が収容されていたという。

 「療養所」と言えば聞こえはいいけれど、結局は、ハンセン病患者を家族や社会から、一方的強制的に切り離すための施設であった。

 雑居病棟の施設は劣悪で、病気が治っても自由な外出は許されず、隔離政策は、平成8(1996)年の『癩予防法の廃止』まで続いた。  

           

 

         

           菊池恵楓園の施設 (雑居病棟はもっと劣悪な環境だった)              

 

  

 そんな中、今から56年前(1963年)に結成された絵画クラブ『金陽会』は、患者たちの心の拠りどころとなっていったのだろう。

 ※ 一番上の「根子岳」を描いた森繁美さんは、病のため手が不自由で、「根子岳」は、直接チューブで描かれたものだという。

 ※ 一番下の「遠足」は、木下さんが小学1年生の時、たった一度だけ行った遠足(その後は収容された)を、懐かしんで描かれたもの。

 ※ 上から3枚目の「夕すげの咲く頃」の作者・吉山安彦さんは、現在唯一人残っている『金陽会』のメンバーだ。

    そして彼は、今は亡き(描けなくなった)仲間と交わした約束(「死ぬまで絵を描こう」)を守って、90歳の今も、一生懸命絵に取り組ん

    でおられる。

                  

 

           

 

 

   しかしそんな吉山さんも、当初は、非人間的な扱いで療養所に容れられ、不条理を強いられた“怒り”や“悲しみ”から、次のような絵を

   描かれていた。 (収容された他の方々も、初めの頃は、荒々しい絵を描かれていたそうだ。)

                

                        「黒い樹」 (1989)

 

         

         「陽だまり」 (1991)……題名とは対照的に、療養所と外界を隔てる「壁」

 

         

                     「捨てられた風景」 (1995)

 

     これらの絵を私は今でも「素晴らしい!」と思うけれど、その後、吉山さんの絵からは、次第に“怒り”や“恨みの感情が消えていき、

     “清らかなもの” “美しいもの”を求めていかれるようになる。

     その代表的な一枚が、上に出した「夕すげの咲く頃」であり、今取り組まれている、(たぶん)月見草の絵なのだと思う。

          

 

          

 

 

 ※ そしてもう一人、どうしても記しておきたい方がおられる。 その方の名は、矢野悟さん。

    彼はハンセン病の後遺症で、2年前から視力を失っておられる。

          

 

    矢野さんは、元来絵を描くことが大好きで、たくさんの素晴らしい絵を残された。

    その中でも私が感動したのが(日曜美術館の司会者の小野さんもこの絵に強く惹かれておられた)、下の「母子」という絵だ。

          

 

            

 

    仔馬が母馬のお乳を吸い、母馬はその子に優しく乳を与えている。

    ことばは無くとも、二人(二匹)の間には愛情があふれ、幸せな時が流れる。

    この絵は、矢野さんが10歳のころ、無理やり母と離されて療養所に容れられた、その時の自分の母を慕う気持ち、母の息子を

    手放すやるせない気持ちを思って、描かれたのだそうだ。

 

    現在視力を失われた矢野さんは、今でも療養所の一室で、介護を受けつつ生活されている。

    その矢野さんの部屋には、視力を失われる直前に描かれた彼の絵が掛けられている。

           

 

    その絵は、目が見えない中で描かれたものだから、輪郭線は当然ボンヤリとはしている。

    けれど、矢野さんの優れたデッサン力や色彩感覚は、この絵からも充分にうかがうことができる。

    そしてこの絵には、矢野さんの絵をずっと愛し続け交流を続けてこられた吉村レイ子さんの家族の姿が描かれている。

           

             矢野さんの部屋を訪れて談笑される吉村さん

 

          

        かつて矢野さんが描かれた、吉村さんの息子と愛犬 (絵の一部)

 

         <矢野さんの最後?の絵と、その中に描かれた吉村さんの家族の姿>

          

 

            

 

 

     番組で、矢野さんの部屋を訪れた司会者の小野さんが、矢野さんの押入れの中に、きれいに洗われいつでも絵を描けるように

     準備されている絵筆を見つけて驚かれると、矢野さんはキッパリとこう言われた。

     「私はいつでも頭の中で絵を描いています」と。

 

 ハンセン病を患い、絶望の淵に立たされ、いわれなき差別を受けて、怒りに身を震わせて自暴自棄になってもおかしくないはずの彼ら

が、何故にこのように美しい絵を描けたのか、私には未だによく分からない。

 病気の後遺症で視力を失った矢野氏が、「いつでも頭の中で絵を描いています。」と言われる強さが何処から来るのかも、よく分からない。

 それが、『絵の力』 というものなのだろうか‥。

 それはともかく、番組を見終ったあと、彼らの描かれた絵が、浄化された魂となって、私を優しく包んでくれたことは違いない。